ヨアヒム・クロル:ドイツの極貧カニバリストによる悪魔の所業

ヨアヒム・クロル:ドイツの極貧カニバリストによる悪魔の所業
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

最近メッキリ暗くなるのが早くなりましたね。

14時くらいではもう”夕方”チックな雰囲気。

黄昏時ってヤツですよ。

14時から「たそがれろ」って言われても、土台無理な話です。

こっからが俺の活動時間だっての。

 

 

黄昏時には、人の判断力が低下するという効果がある事が心理学的に証明されています。

この時間以降は、しっかり自分や家族の身を守れるように、注意して活動しましょう。

でないと・・・

 

というわけで、今回ご紹介するサイコパスはコチラ!

 

ヨアヒム・クロル

(1933年4月17日~1991年7月1日)

 

ドイツを代表するシリアルキラーでカニバリスト。

 

驚異の知能!生まれから幼少期

ヨアヒムは、現在で言うポーランドで鉱山夫の父を持つ8人兄弟の末っ子として生まれました。

大変病弱で、夜尿症があり、学校の成績は常に悪く、日本で言う小学三年生の時に学校を退学になります。

 

後に彼を検査した精神科医曰く

彼のIQは驚異の76

人間の平均的なIQは100と言われています。

 

ここまで低いと、日常生活にまで支障をきたす恐れがありました。

 

時代はちょうど第二次世界大戦の最中。そんな時に生まれた彼は、大戦終了後の1945年に国からドイツ人追放命令を受け”難民”となり、ドイツのヴェストファーレン州に引っ越すことになりました。

 

大戦後のドイツってさぁ~・・・

こういう話が異常に多いんだよねぇ~・・・

大戦でドイツが併合した国は、元通りに返還されちゃうし

賠償金こそ課せられなかったけど、食料などの現物や”捕虜を労務に使う”って形で賠償が課せられたり。

労働力取られてるわけだから、ドイツ国内の貧困は結局深まったし。

第一次世界大戦での金銭賠償も終わってないし。

 

よく住めたなこんな国って言わざる負えない程

圧倒的極貧

 

街には浮浪者で溢れかえり、仕事もほとんど無い始末。

ガチで飯も食えない時代。

 

1955年に母親も亡くなり、ヨアヒムの家庭もご多分に漏れず貧困の極みだったことでしょう。

 

ヨアヒムの童貞喪失体験

 

 

この状況は、22歳のヨアヒムにとってもつらいものでした。

ヴァルシュテッデ村の郊外で、同い年のイルムガルト・シュトレールをレイプした上に殺害するくらいには。

1955年2月8日、レイプしたのちに刺し殺し、内臓を取り出された遺体が郊外の納屋で発見されます。

 

コレが彼の童貞喪失体験。

 

1959年頃になると、ヨアヒムはデュースブルクにあったマンネスマンという重工業機械メーカーで、トイレ掃除の職につきます。

 

トイレ掃除夫時代

1959年7月26日、彼の新たな犯行が見つかりました。

マヌエラ・クノート(16歳)がエッセンにある公園で絞殺体で発見されました。

遺体はもちろんレイプ済み。それも殺された後。

でも今回から、もっと注目するべき点が見つかるようになりました。

 

臀部と太ももの肉が切り取られ、持ち去られていたんです。

 

1962年にはバーバラ・ブルーダー(12歳)が誘拐され、いまだに行方不明。

同年4月23日にはペトラ・ギーセ(13歳)が、今度は両尻の肉と左前腕部が持ち去られた状態で発見。
刺殺された後にレイプされています。

 

7月4日にはモニカ・ターフェル(12歳)

今度は臀部と内股の肉が持ち去られた状態で発見。

 

大体三か月ペースで肉を持ち帰るヨアヒム。

使い道はもちろん・・・

おっと、これは後のお楽しみで。

 

ちょうど1965年頃、彼はティッセンという鉄鋼メーカーに転職します。

 

鉄鋼メーカー時代

手口変わらないからダイジェストでいくよ~

  • 1965年8月22日、ヘルマン・シュミッツとマリオン・フェーンが電車に座っていたところをぶん殴られる。
  • 1966年9月13日、ウルスラ・ローリングが絞殺。
  • 1966年12月22日、イローナ・ハルケ(5歳)をブッパータールの溝内で遺体で発見。臀部と肩が切り取られる。
  • 1969年7月12日、マリア・ヘトゲン(61歳)が絞殺後にレイプされる。
  • 1970年5月21日、ユッタ・ラーン(13歳)が駅からの帰宅中に絞殺される。
  • 1976年、カリン・テプファー(10歳)が絞殺後レイプされる。

11年間の長い犯行期間。

ヨアヒムは逮捕されること無く連続殺人を行いました。

異常なまでの尻フェチ具合ですが、どんなに好きでも「切って持って帰る」ほどって意味が分からん。

 

この頃のドイツ警察は、貧困により大変な時期だった上に、街で大量に発生する事件のため・・・

っていうかぶっちゃけ「やる気ゼロ」状態。

先の見えない国家事情や、メシがまともに食えない状態で、どうやりゃやる気が出るってんですか。

 

ヨアヒム最後の事件

 

1976年7月3日、マリオン・ケッター(4歳)が遊園地で遊んでいる際に行方不明になります。

母親から捜索依頼を受け、警察はマリオンが穏やかそうな風貌の中年男性と話していたという目撃証言を頼りに捜査を開始。

そんな中、とあるアパートの住人が

「隣に住むヨアヒム・クロルという男が『アパートの最上階の便器に”臓物”が詰まって使えない』と言っていた」

と証言しました。

配管工と共にヨアヒムの部屋に向かった警察が見つけたのは、便所に詰まった

幼児の内臓

加えてビニールに小分けし冷凍してある人肉。

コンロの鍋では、ニンジンやジャガイモなどの野菜と共に

グツグツ煮られた幼児の手

マリオンの物でした。

 

 

即座に連行されるなか、彼が叫んだのは

「夕食に間に合わなくなる!とっとと手術を済ませてくれ!」

彼は、「殺人欲を消すための軽い手術」を受けたら家に帰れると思っていました。

 

ヨアヒムの晩年

マリオン殺害を認めたヨアヒムは、続々と過去の犯罪を自供。

警察に対して、「食費を浮かすため、遺体は調理して自分で食べた。」と証言しています。

併せて、自分の食人は当時有名だった快楽殺人鬼”アルバート・フィッシュ”とは違い、性的な意味はないとも述べています。

特に好んだのは幼女の尻肉。

柔らかく甘みを感じ、「他の肉なんて食えたもんじゃない」そうでした。

 

彼自身は極度の神経質で、普通の性行為を営むことが出来ず、結果的に無力な女児や、無抵抗な死者としかエッチすることが出来なかったようです。

 

彼の「手術後にすぐ帰れる」という思惑とは異なり、9つの無期懲役刑を課せられます。

結局夕食には間に合わず、1991年刑務所内で心筋梗塞のため58歳で死去しました。

 

まとめ

 

”夜尿症”と知的障害には密接な関係があるそうです。

ヨアヒムはどう考えても知的障碍者。

にも拘わらず長期的に殺人行為を繰り返せたのは、時代と国の問題だったのでしょう。

身元不明の浮浪者があふれかえっていたからこそ、捜索願もなく事件の発覚が遅れたのではないでしょうか。

人に関わっているより、まずは自分の身を守ることで精いっぱいだったのかもしれません。

 

仕事についていたにも関わらず、食肉を求めて狩りに出ていた点からも、ドイツ国内の食糧事情が伺えます。

  

日本が文明的で文化的な国になったことを、本当にありがたく思える事件でした。