エヴァンジェリスタ家惨殺事件:宗教団体の教祖は何故死ななければならなかったのか。【世界の未解決事件】

エヴァンジェリスタ家惨殺事件:宗教団体の教祖は何故死ななければならなかったのか。【世界の未解決事件】
Pocket

どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

日本に住んでいると、あまり意識することないですが

世界には、いろいろな宗教があります。

神の教えを守ることで、よりよい豊かな人生を歩もう。

とか言いながら、宗教同士で対立・戦争を行うことも。

私は自分が”曹洞宗”らしいと、幼い頃の親戚の葬式で聞いたくらいで、神などクソの役にもたたねぇもんだと思っています。

 

というわけで、今日は宗教に関する未解決事件

 

エヴァンジェリスタ家惨殺事件

 

1929年7月3日にアメリカはデトロイトで起こった、アメリカ犯罪史上でもっとも奇妙な事件の一つ

 

イタリア移民、アメリカへ

このお話の主人公は、ベンジャミン・エヴァンジェリスタ。

通称ベニー。

1885年にイタリアのナポリで生まれたベニーは、兄弟のアントニオと共に1904年にアメリカのフィラデルフィアへ移民としてやってきます。

しかし、二人の関係は絶たれることに。

アントニオの証言では、ベニーは「カトリック教徒らしくない、おかしなビジョンを見始めたから、ペンシルベニアに行かせた」とされています。

 

ペンシルベニア州のヨークに移り住んだベニーは、鉄道の建設作業員であるイタリア移民、アウレリウス・アンジェリーノという男に出会います。

二人は意気投合し、互いにオカルトに手を出し始めました。

魔方陣による魔よけや悪魔召喚、人を癒すポーション製作にのめり込み、二人の関係はどんどんと深まっていきます。

 

しかし、アンジェリーノは1919年に事件を起こします。

自分の子供2人を、斧で惨殺。

アンジェリーノは刑務所に送られ、何が起こったのかわからないベニーは、不安からアメリカのデトロイトへ引越しすることにしました。

後にアンジェリーノは「家族を片付けなさい」という神の声を聞いたと証言しています。

 

デトロイト時代

当時のデトロイトは、産業時代のピークを象徴する街として有名で、世界中から移民が押し寄せる工業地帯として栄えていました。

かのヘンリー・フォードがT型フォードの発明により、世界的な自動車革命を起こしたのもちょうどこの頃です。

 

しかし移民の実情は、質素な木造の家にぎゅうぎゅうに押し込められ、悪質な労働環境に辟易しつつ日々を過ごすという物悲しいものでした。

 

ベニーは大工としての仕事を得て、後に不動産業に手を出します。

これが成功を収め、やがて結婚。

妻のサンティナ・エヴァンジェリスタを向かえ、幸せな人生を取り戻したベニーは

オカルトが再発します

 

ベニーはイタリア移民のコミュニティを”オカルトの力”で癒すことにしました。

「ヘクスマン」(魔方陣による護符使い)として活動し、ハーブやポーション、護符などの「精神的な救済策」を売って収入を補います。

支払われた手数料は、当時の価格で10ドル。

ライン工の給料2日分

 

ぼろい商売で儲けたベニーですが、彼は本気でオカルトを研究していました。

ベニーは儲けた金で、地下室の付いた広く快適な家を購入します。

 

そう、地下室です。

 

 

人目につかない場所で行われる研究。

ベニーはそこに自作の祭壇を祭り、呪文や護符について研究を重ね、様々なポーションを混ぜ合わせ、時には動物を生贄に捧げた呪術などを行っていたようでした。

 

やがて彼は”預言者メイル”とかいう霊的存在に教えられた、「本当の世界の歴史」をまとめた聖書を執筆し、自費出版します。

その本を経典とし、なんとこの男

Great Union Federation of America というカルト教団を立ち上げました。

 

自分を教祖「神の預言者」とし、中西部のいたるところからイタリア移民が押し寄せ規模は急拡大。

多くのイタリア移民が彼の教義に救済を求めました。

 

事件発生

しかし1929年7月3日

午前10時半に、不動産売買について話し合うためにベニーの家にやってきたヴィンセント・エラスという男が、異様な光景を見ます。

 

ベニーは手を祈るようにひざの上に置いて座り

首は足元に置かれていました。

 

ヴィンセントはすぐに警察に通報し、警察の調査により

ベニーの子供たちである

アンジェリーナ7歳

マーガレット5歳

ジェーン4歳

それぞれが、ベッドに寝かされ首を刈られているのを発見。

 

妻のサンティナは、生後18ヶ月の赤ん坊マリオと共にベットにいましたが

サンティナも首を刈り取られ

マリオは頭蓋骨が粉砕されていました。

全ての遺体はで惨殺された事が判明しています。

 

他にも警察は、現場の奇妙な点を調査報告書にまとめていました。

地下室の異様さはもちろんのこと

・切断されたベニーの首を囲むように、棺に入った子供の写真が3つ置かれていた。

・全ての下着に所有者の名前が書かれていた。

(「ブードゥー教特有の、行方不明者を探すまじないだ」と新聞で報道)

 

しかしこの事件

警察の無能さを、まざまざと見せ付ける結果になります。

ベニー家の周辺は、彼を慕ってやってきたイタリア人とシチリア人の家で囲まれており、警察に情報提供を躊躇するし

報道陣が家に押し寄せて、現場を踏み荒らされて証拠を破壊され

止めらんなかったのかよ警察!

( ̄□ ̄;) 

 

まぁなんとか警察は手がかりを捜し、3つの仮説に行き当たります。

 

仮説その1「イタリアンマフィア説」

ベニーの家を捜索中に複数のメモが発見されたことで、イタリア系マフィアである「ブラックハンド」に脅されていたことがわかりました。

しかし、1929年にはブラックハンドは既に時代遅れ。

マフィアの台頭は1920年~1933年に施行された「禁酒法」によるところが大きく、すでに廃れ始めていた禁酒法の効力からも、マフィアの活動には陰りが見えていました。

ベニー家からも、資金をブラックハンドに流したような痕跡は見当たらず、あまり真剣に受け止めてはいないようでした。

 

仮説その2「殺害前日の来訪者説」

遺体発見の前日夜間、ウンベルト・テッキオ(42歳)がベニーの家を訪れて、ベニーから買い取った家の支払いをしていました。

そのときテッキオは、アンジェロ・デポリという友人を伴っていましたが、彼らは「訪問中に異常なことは起こらず、事件について何も知らない」と主張しています。

テッキオには、この事件の3ヶ月前に義理の兄弟を口論中に殺害たという事実があり、なぜか起訴はされていないという結果から、警察にかなりの不信感を与えています。

しかし結局、証言も証拠も得られずテッキオは釈放。

その数年後、1934年に彼は自殺しています。

 

仮説その3「アンジェリーノ犯人説」

ベニーの元友人で殺人犯であるアンジェリーノ、実は

事件当時、脱獄して行方不明

彼もイタリア系移民。コミュニティ同士のつながりはあったでしょう。

イタリア移民に貢献していたベニーの名声は、脱獄後の彼にも届いたかもしれません。

 

ベニーがオカルトによって有名になり、自分はオカルトによって没落。

凶器が斧であるという共通点もありますが、彼の行方は依然不明。

さすがに2019年の現在では亡くなっているでしょう。

最後まで彼は行方をくらませたままでした。

 

まとめ

結局この事件は解決することなく、ベニーの家も今では取り壊されており、現在その場所は空き地のまま誰にも利用されていません。

魔術的な殺害現場も、狂信的な信者による事件なのか、それを意図した別の殺人犯によるものなのか。

今では誰にもわかりません。