ユルゲン・バルチ:思春期少年が起こす殺人事件には、性的感情が付き物だ

ユルゲン・バルチ:思春期少年が起こす殺人事件には、性的感情が付き物だ
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

先日、上司のマンション内で殺人事件が発生しました。

高齢夫婦の口論が大喧嘩に発展したようで、旦那が妻を切りつけて重症を負わせ、搬送中に亡くなったそうです。 

事件というのは、日々身近なところで起こっています。

いつ自分が事件に巻き込まれるかわからないこの世の中、探偵スキルの向上は己の身を守る手段として最高です。

 

今回の一件で、上司の経験から学んだことは

1.警察はマンションの階毎に二名体制で人員を配置する。

2.どの階も同じタイミングで聞き込みを開始する。

3.聞き込みの際は、エレベータの使用を停止する。

 

全ては「犯人の逃走を防ぐため」です。

 

今回は事件直後に犯人が自首したため、大規模な捜査は必要ありませんでした。

人生も、あと数年で終わるとなったら、こんなことも出来てしまうものなんでしょうか。

 

というわけで今回は、人生まだまだ先があったサイコパスのご紹介

 

ユルゲン・バルチ

(1946年11月6日~1976年4月28日)

別名カーニバル・キラー

ドイツの性犯罪史に楔を深く打ち込んだシリアルキラー

 

幼少期

バルチは、生後5ヶ月で母親が結核により亡くなってしまうという悲しい経歴の持ち主。

生後11ヶ月でラングバーグの肉屋さんに養子に出されます。

 

バルチの養母は”強迫観念”が異様に強く、彼が清潔であることに異様に固執しました。

「バルチが汚れないように」という理由で、彼が19歳になるまで他の子供と一緒に遊ぶことを許さなかったようです。

精神的にも物理的にも”清潔”を求めたんでしょうか、バルチが10歳の頃入った学校は厳格でないという理由で、カトリック寄宿学校に移転させました。

 

これだけでも十分に虐待されていたと言えます。が・・・

バルチの身体には、アザや傷跡が全身に残っていたようです。

虐待場所は、養父が日ごろから肉の解体を行う部屋。

異常なすりこみが行われることになったでしょう。

 

結局バルチは、外出も許されず地下に6年間拘束。

また、入浴中に母親から性的虐待を受け、8歳の時には従姉妹から、13歳の時には男性教師から「お誘い」を受けます。

 

脅威の年齢15歳、転換の時

バルチによる最初の殺人1962年に起こります。バルチは15歳。

彼はカラウス・ジュン(8歳)という男子を、下校中に近隣の地下防空壕へ連れて行き

縄で縛り上げます。

オティンティンをもてあそんだ挙句、最終的に首絞めにより息の根を止めました。

遺体はその後、例外無しに切り裂かれます。

時にはチンコを切り取り

時には内臓を引きずり出し

時には心臓を解体し・・・。

 

バルチの目的は、ゆっくりと拷問にかけて殺害すること。

本人曰く、「学校で先生から、中世のサディスティックなお話をたくさん聞かされた」ことが理由のようです。

 

レイプ中には自慰行為を行っているにも関わらず興奮しないバルチ。

しかし、肉を解体している最中に彼は

終わりのないオーガズムを迎えたそうです。

 

遺体は防空壕に埋められました。

家から3マイルほど離れた場所でしたが、子供たちの隠れ家になっていたこともあるようで、非常に考えの浅い”子供らしい”隠蔽方法だと言えるでしょう。

 

誘い出しの手口

防空壕に連れ出す手口は、複数ありました。

時には彼は「探偵だ」と名乗り、「防空壕の中に隠されているダイアモンドの詰まったスーツケースを回収しにいく。」「目撃者が必要だ。」などと誘います。

多くの場合子供たちは信じず、仕方がないのでバルチは街の外にあるパブで、りんごジュースを子供たちに振舞います。

そこで50マルクを子供たちに渡し、ダイヤの話や他の話を聞かせて「協力してくれ」と頼みます。

 

また、教区の見本市にも訪れています。

ホームレスたちで溢れかえった場所は、彼の匿名性を高めました。

その際彼は、大きなスーツケース(通称「子供用の棺桶」)を持ち歩いていましたが、ターゲットたちから「どうしてそんなものを持ってるの?」と尋ねられることが多く、のちにバッグを持たずに表れるようになりました。

 

 

まだまだ続く殺人

彼は同様の手口で15歳から19歳の間に4人の殺人を行います。

カラウスの後は

ペーター・フッチス(13歳)

ウルリッチ・カフルワイズ(12歳)

マンフレッド・グラスマン(12歳)

 

100回以上の殺人計画を企て、失敗を繰り返したと述べています。

 

最後の事件

事件の発覚は、彼の最後の事件の詰めが甘かったからに他なりません。

犠牲者はピーター・フリーゼ(11歳)

今までの手口度同様、防空壕に連れ出すことに成功したバルチでしたが

ピーターを縛ったまま放置し家に帰りました。

理由は、門限が来たから

 

ピーター は自分を縛り上げたネクタイを、壕内で燃やされていたロウソクの火で燃やし脱出に成功。

バルチが家族とテレビを見ながら夕食をとっている間に、警察へ駆け込み事件が発覚しました。

 

バルチはその後全ての殺害を自供し、終身刑に処されます。

第二次大戦中のドイツは、死刑をよしとしませんでした。

その後判決に対して控訴し、1971年には10年間の禁固刑になり、精神科で治療を受けることになります。

なんと、禁固刑中の1974年1月2日に、ハノーバーに住むギセラ・デイケと結婚もしています。

 

様々な治療法を検討された中で、彼に提示されたのは

「去勢」(チンコ切り取る事)

 

この治療を受けない限り、生涯拘束されるという条件を与えられ、彼は嫌々ながら去勢に同意します。

 

しかし手術中、投与される麻酔の量を通常の10倍ほど”間違っちゃった”事により、心臓麻痺で死亡。

 

彼が外に出ることは、ありませんでした。

 

補足

 

この野郎、こともあろうに「僕は被害者全員を愛していた」などと抜かしています。

最後の事件で逃走を許したのも、「被害者が暗闇を怖がったから、ロウソクを2本つけてあげた」とのこと。

ピーターは一本目のロウソクは誤って消してしまい、二本目でなんとか脱出に成功。危ないところでした。

その裏づけとなる警察との手紙のやり取りも、複数残っています。

 

なんにしても、バルチはまだ幼く未熟であったといわざるをえないでしょう。

イケメンがゆえに人生をもてあそばれ、性的虐待を受け、何が正しいことなのかを最後まで知ることはなかったと思います。

 

まぁ、この世の中に正しいことが本当にあるなら別ですが。