テッド・バンディ① サイコパスの生まれから大脱出までの記録
- 2019.02.04
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
私は現在デスクトップPCでブログを書いています。
残念ながら2週間前にゲーミングノートがお亡くなりになったためです。
おかげでゲーム探偵を名乗りながら、ゲームが配信できない状態。
早く何とかせねば・・・。
youtubeの視聴者がだんだんと増加しているため、ここで一発新作を公開したいにも関わらず、手が打てないのはなんとも歯がゆい状態です。
いつかは有名になって、お仕事として楽しんで頂きたいと思います。
というわけで、今回は代わりにサイコパス界の超有名人にお越しいただくことにします。
テッド・バンディ

(1946年11月24日~1989年1月24日)
本名:Theodore Robert BUNDY(セオドア・ロバート・バンディ)
コロラド、オレゴン、ユタ、フロリダ、ワシントンの5州に渡り、記録上36人を殺害したサイコパスの代名詞。
幼少期

バンディは、バーモント州のバーリントンで未婚の母親の元に生まれました。
父親の身元はわかりませんが、出生証明書には”Lloyd Marshall(1916年)”となっています。
後に未婚の汚名を逃れるために、祖父母のサミュエルとエレノア・コーウェルから姓を取り、セオドア・ロバート・コーウェルという名前になります。

テッドは高校生(もしくは大学時代)になるまで、母親のことを”姉”だと信じて成長しました。
最初はフィラデルフィアに住んでいたテッドですが、後にワシントン州タコマの親戚の下に身を寄せます。
ここで、名前をコーウェルからネイサンに変えます。
タコマに来た母親は、教会で開かれたシングル同士のパーティーでジョニー・バンディと出会い、後に結婚。
ここで初めて、テッドの姓が”バンディ”になります。
紆余曲折あった幼少期ですが、ジョニーの元にいた子供のベビーシッターとして多くの時間を過ごしました。
また、学生としても優秀な成績を残しており、教会の地域活動の副会長を務め、ボーイスカウトとしても活躍。

どう見ても、いい子
しかし写真の見た目とは異なり、性格的には内向的で恥ずかしがり屋。
高校時代や大学初期の間を通して、陰キャだったそうです。
バンディいわく、高校時代に「壁にぶち当たった」と述べており、どうやって人と接すればいいかわからなかったそうです。
また10代の頃には、図書館で犯罪に関する本や事件性のある記事を読み漁り、死体とサディスティックな性描写のある写真誌が大好きだったとのこと。

高校卒業前から、そこで得た悪知恵を存分に働かせ、スキー場のリフト券を偽造したりスキー用品を盗み出したり。
未成年の間に2度の逮捕歴がありました。
大学期

バンディは1965年に高校を卒業し、ピュージェットサウンド大学に奨学金を授与され入学。
心理学と東洋学のコースを受講したのち、2学期にはワシントン大学へ編入しています。
ワシントンでは心理学の勉強として、他のバイトと掛け持ちで自殺対策ホットラインにて夜勤のボランティアとして働いたり、かなり心理学に傾倒していたようです。
1969年春に一度大学を休学し、その後秋には心理学を専攻して再入学。
特待生として認められ、教授にも好かれるように。
また中退ではありますが、ワシントン大学を卒業後にロースクールへ行き、法律を学んでいます。
後になってわかりますが
全ては快楽殺人のため
そうとしか考えられませんでした。
事件発生

1974年9月7日、深い森の中でハンティングをしていた2人の男が、骨らしきものを発見します。
動物の死体が白骨化したのかと思い調べた結果、それは人間の骨。
しかも3人分
ですが、発見できた頭蓋骨は2つだけ。
歯形による検査を行うと、それはジャニス・オットー(23歳)とデニス・ナスランド(19歳)の頭蓋骨。
2人とも、7月14日に湖近くの公園で行方不明になったと記録に残されていました。
もう一人の頭蓋骨は後に発見され、6月11日に行方不明になっていたジョージア・ホーキンスのものであると特定されています。
逮捕

1975年8月16日、ソルトレーク・シティで警察にとめられたバンディは、警察に車内を捜索されて「スキーマスク」「手錠」「ゴミ袋」「アイスピック」など、おおよそ強盗に使うと考えられるものを発見されます。
尋問されたテッドは、マスクはスキーのため、手錠はゴミ捨て場で見つけたと
もう嘘八百をまくし立てます。
警察により、アパートの捜索も開始されます。
実はこの頃、大学時代から婚約していたリザ・ケンダールと同棲していました。

この女、6年間もバンディの正体に気がつかず生活しています。
アパートに残されていたスキーリゾートのパンフレットを調べたところ、ある行方不明の女性が最後に目撃された宿屋にチェックが入っていたことからバンディを犯人と特定し、逮捕されます。
まさかの脱出

一週間にわたる裁判により有罪判決を受け、ユタ州刑務所に15年の刑を宣告されました。
が、後に大脱出
1977年6月7日にアスペンに移送されていたバンディは、裁判所の法律図書館の二階の窓から飛び出し、右足首を捻挫しながらも逃走。
発見されること無くアスペン山の頂上までたどり着き、放棄された狩猟小屋で二晩を過ごします。
しかし、方向感覚を失った彼は道に迷いつつも、山で見つけたキャデラックを盗み逃げ出します。
がんばったバンディですが、逆斜線からやってきた警察に見つかり6日間の逃走劇は終わりました。

しかし諦めがわりーのなんの。
別の受刑者から受け取った弓のこを使って、2週間以上かけて牢屋の天井を外し、ダイエットして天井上のスペースに侵入出来るようになりました。
1977年12月30日の夜中、ベッドの毛布に本やファイルを詰め込み、人がいるように見せかけた後に天井のスペースを通って

看守が寝ている部屋へ降り立ち、ドアから脱獄
看守は翌日の昼まで17時間、バンディの逃走に気がつきませんでした。
逃走成功!その後フロリダへ
シカゴに逃げ込んだバンディ、電車でミシガン州まで移動してキリスト教青年団「YMCA」に身を寄せます。
その後も車両泥棒、万引き、引ったくりで身を繋ぎ、外出時には口ひげに右頬に偽ホクロを描き、正体を隠します。

一度、建設現場に就職しようとしたことがありましたが、運転免許証の提示を求められてやむなく断念したり。

そんな生活でストレスが溜まったら、発散する方法は
もちろん殺人レイプ
1978年1月、2年半もの間”趣味”を我慢していたバンディは、タラハシーという土地にある”フロリダ州立大学Chi Omega女子寮”に忍び込み、リサ・レヴィとマーガレット・ボウマンを撲殺、遠方へ遺体を連れ出し遺体をレイプ。
コレを皮切りに殺人衝動が止まらなくなったバンディは、その後も多数の事件を起こします。
記録に残された最年少はキンバリー・リーチ(12歳)。
1978年2月9日、フロリダ州レイクシティで彼女を誘拐し、レイプ後に殺害。

その小さな身体を、豚小屋に投げ込むという
まさに悪魔の所業
彼はその後にフォルクスワーゲンのビートルを盗み出し、タラハシーを去りました。
逮捕パート2

2月15日の午前1時過ぎ、バンディは警察に止められて車両ナンバーを調べられます。
もちろん窃盗車、偽の身分証明を出し偽名を言いますが、指紋により彼がテッド・バンディであることがすぐにバレてしまいます。
彼はすぐにタラハシーへ移送され、タラハシーとレイクシティでの殺害により起訴、その後マイアミへ移されて別の事件の裁判に掛けられる
凄腕ビジネスマンのような忙しさ
続きはその②にて
さーてここまでお送りしてきたテッド・バンディの半生ですが、実はまだまだスゴいストーリーがたっぷり残されており、書ききれていません。
裁判を混乱に落とし込んだ話、犯行の手口、その他諸々は②に書かせていただきます。
どうぞお楽しみに。
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