ジェフリー・ダーマー②:本格活動開始からジェフリーの最後まで【閲覧注意】
- 2019.02.07
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
ジェフリー・ダーマーの続きにいってみましょう。
ジェフリー・ダーマー

(1960年5月21日~1994年11月28日)
本名:ジェフリー・ライオネル・ダーマー
通称:ミルウォーキーの食人鬼
オハイオやウィスコンシンで計17人を”とある残虐な方法”で処分した。
保護観察終了後

1987年9月15日、ジェフリーはホテルで目を覚ましました。
なぜホテルに泊まったのかわからなかったんですが、自分の隣を見て理由を思い出します。
身に覚えのない遺体が、そこにありました。
前日、同性愛者用のクラブ「Club219」でピックアップした男性と共に、ホテルに入ったのでした。
なぜ男が死んでいるのかは本当に思い出せません。
しかし、顔はボコボコになっており、首には絞められた跡。

完全にワシがやっとる・・・orz
大慌てでクローゼットに遺体を隠し、すぐに大きなスーツケースを買ってきて遺体を詰め込みます。
どうしようか悩んだ挙句・・・

今住んでいる祖母の家に持って帰りました。
この家には地下室があったため、そこで遺体を細かく解体してビニール袋に小分けにした後、ゴミ捨て場に廃棄しました。
保護観察終了後、一週間を待たずしての犯行でした。
1988年1月16日、「Club219」近くのバス停でインディアン系の少年を「ビデオのモデルとしてバイトしないか?」と持ちかけて、祖母の家に連れ込みます。

そこで用意していた睡眠薬を飲ませ、眠ったところを絞殺
解体して肉を強酸で溶かした後、骨は砕いて家の周囲にばら撒いて隠蔽しました。
3月24日にはゲイバーでピックアップした男を同じ手口で殺害。

ダーマーズ・ルーティーン確立
しかし、手口が安定するということは、それだけ数をこなしたということ。
祖母が父親に「あの子が来てから、地下室から異臭がする」と相談し、地下室を調べると”どす黒い血だまりの跡”を発見。
問い詰められたジェフリーは、「動物の遺体を酸で溶かしただけだ」と弁解します。
しかし、父はそろそろ独り立ちさせるべきだと考えるように。

ミルウォーキーの北部に引っ越したジェフリーは24時間たたないうちに問題を起こします。
ラオス人の少年を例の手口で捕まえました。
しかし、少年は逃走し警察に駆け込んだため、警察はジェフリーを逮捕し起訴。一週間の拘置を受けた後に保釈金で仮釈放されます。
1989年1月30日には有罪が決定されましたが、判決が正式に出るまでまた4ヶ月かかることになりました。
トロフィー獲得期
判決日を待っている3月25日、ゲイバーにて男と出会います。
今回はまた祖母の家。
警察が自宅を監視していると思っていたからです。
例の手口でやすやすと遺体を片付けると

頭蓋骨を記念品として保存することにしました。
5月23日にでた判決により、ジェフリーは1年間の刑務所外労働と5年間の保護観察処分を受けることに。
かなり寛大な処分です。
こうして彼は1年間、昼は労働、夜は刑務所という生活を余儀なくされました。
ダーマー神殿へ
1990年3月には仮釈放となったジェフリーは、後に

「ザ・シュライン・オヴ・ジェフリー・ダーマー(ジェフリー・ダーマーの神殿)」
と呼ばれるオックスフォード・アパルトメント213へ引越し。
5月、6月と犯行を重ね、7月にはヒスパニック系の少年に手を出して逃げられ、危うく殺人がバレそうになりました。
2ヶ月の自粛期間を置くことにします。

しかし、自粛明けの9月3日の犯行には、新たな要素が加わることになりました。
筋肉質な黒人ダンサーを捕まえた後、封印していた衝動を爆発させるように
遺体を食べるようになりました。
その2週間後には、23歳の黒人青年も胃の中に納まっています。
1991年には新チャレンジ。
2月18日、19歳の黒人青年を食した後に、4月7日には同じく19歳の黒人青年を捕まえます。
そろそろ、自分の理想の恋人が欲しいと考えていたダーマーは、恋人を見つけるんではなく、作ることにしました。

青年の頭蓋骨に穴を開け、そこから塩酸を流し込みます。
ロボトミー手術という、実際に行われていた手術の真似事です。
しかし案の定、手術は失敗に終わりました。
翌月24日には、31歳のアンソニー・ヒュージズがアパートに消え、それから数日後には14歳のラオス人少年を捕まえます。
しかし、この少年はジェフリーがビールを買いに出た隙に全裸で逃走。
警察がアパートにやってくるというヒヤヒヤものの状況でしたが、結局ばれる事は無く・・・。
最後の犯行

1991年7月15日、この頃ジェフリーは6年間勤め上げたチョコレート工場を解雇されています。
理由は頻繁な欠勤と遅刻。
他にも、家賃の滞納が続いていたため、7月いっぱいでアパートを出なければなりません。
もう普通の人にもなれなくなっていたジェフリー。
アパートには異臭を放つ大量のバラバラ死体、犯行も行き当たりばったりなものになっていきました。
ジェフリー、逮捕の時

「助けてくれ!」
左手首に手錠をぶら下げた黒人男性がパトカーを止めました。
男性はジェフリーに殺されかけたというので、捜査に向かった警察。
213号室から出てきた金髪男は、丁寧に警察に応対しましたが、背後から漂う強烈な異臭、アル中特有の症状、怪しさ抜群でした。

手錠の鍵を取ろうと部屋に入ろうとした警官に対し、人が代わったかのように暴れだしました。
その場で金髪男へ手錠をかけます。
部屋の中には

バラバラ死体を納めたポラロイド写真
冷蔵庫の中にある肉片や内蔵
切断された複数の人の頭部
酸で溶かされてる最中の三人分の胴体
キッチンの鍋には、手が数本とペニスが一本。
もう言い逃れはできません。

警察の報告書によれば、遺体は全部で11人分
冷蔵庫を運び出す際は、離れていた野次馬も嘔吐するほどの悪臭だったといいます。
ミルウォーキー警察への非難
ジェフリー・ダーマー①でご紹介した、14歳のラオス人少年のケース。
この少年は、1988年にジェフリーに襲われた被害者でした。
しかも、この少年をジェフリーの元へ送り返した警官たち。
こいつら、この話を笑い話のネタにしていたんです。
この話、実はテープレコーダーに録音されており

ラジオとテレビで全米に放送されます。
全米が泣きました。
警官二人は懲戒免職、警察本部長は不信任決議
また、「警察は有色人種の意見を退け、白人の殺人鬼を信頼した」として、ミルウォーキー全体で大問題になりました。
ジェフリー・ダーマーの最後

1992年1月から2月に行われた公判が開かれました。
容疑はすでにジェフリー自身が認めており、弁護側は精神異常による無罪を主張。
しかし10対2の陪審員投票により、15件の殺害容疑にて有罪判決を受け、累計936年の禁固刑
つまり終身刑に処されました。

ジェフリー自身は死刑を望みましたが、1853年にウィスコンシン州での死刑制度は廃止されており、望みは叶いませんでした。
ジェフリーの最後は1994年11月28日

コロンビア連邦刑務所でシャワールームの清掃作業中に、相方だったクリストファー・スカーヴァーという黒人男性が、トレーニングルームよりこっそり持ち出したベンチブレスの棒でジェフリーを撲殺。
後に逮捕されたスカーヴァーは「俺は神の息子」、「父から殺せと命じられた」と供述しています。
事件後、オックスフォード・アパートメントは更地に戻され、今では草で覆われた未使用地帯となっています。

【閲覧注意】ジェフリーの冷蔵庫大公開!




以下は、研究用に取得されたジェフリー・ダーマーの脳

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