ジェフ・ウェイス:高校襲撃事件の犯人から”大量殺人犯”の背景を見る

ジェフ・ウェイス:高校襲撃事件の犯人から”大量殺人犯”の背景を見る
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

飲食店の店員さんに横柄な態度とるヤツなんなんだよ!!

一週間居酒屋バイトの刑でも課せば、二度とそんな態度取れなくなると信じてます。

 

私アレむかつくんですよ~。

店員のほうが年上だろうと年下だろうと関係なく、”自分に仕えるべき”みたいなヤツ。

わざわざ自分の飯を運んでくれる人に、よくそんなことが出来るな。

飯になんか入ってても文句言わせねぇぞ。

 

私の飲食店経験は厨房だったので自身の体験談はないですが、ホールやパントリーの愚痴は山ほど聞いてきました。

 

とはいえ、昔は”お世話になるホールの人”はみ~んな年上だったのに、30超えた頃からみ~んな年下になっていったのには、時代の流れを感じます。

 

がんばれ若人よ。おっちゃんも頑張る。

かといって、昔されたからって”店員に横柄な客”にはならないでくれよ。おっちゃんとの約束だ。

 

というわけで、今日は未成年の主張をご紹介

 

ジェフ・ウェイス

 
(1988年8月8日 – 2005年3月21日)

本名:ジェフリー・ジェームズ・ウェイス

ミネソタ州レッドレイクの高校生

レッドレイク高校を銃で襲撃したスプリーキラー(短期間に複数名を殺害した犯人)

 

2005年3月21日

この日の午後、祖父であるダリル・ルシエルの就寝中、”22口径のハンドガン”で彼を撃ち殺した事から物語はスタートします。

ハンドガンの入手方法は不明ですが、この襲撃の一年前から所持していたようです。

 

ウェイスはその後、警官であったルシエルが所持していたグロック(9mm)とポンプアクションショットガンを盗み出し、襲撃計画を進めていました。

そんな中、外出から帰宅したルシエルの恋人であるミシェル・シガナを撃ち殺しました。

全てはこの後の計画のため。

彼の人生最後の日が始まります。

 

幼少期

ウェイスは、58歳の祖父ダリル・ルイスと共に生活していました。

彼の家系は長い歴史を持つネイティブ・アメリカンです。

両親はウェイスが生まれる前に離婚し、母親は1991年6月に3歳だったウェイスを連れてミネアポリスのセントポールに移住します。

しかしそこで、母はアルコール依存症になりつつ、ウェイスを虐待するようになりました。

1992年には、母の彼氏にも虐待されるようになり、1998年に母は彼氏と結婚。ウェイスの地獄が確定した瞬間でした。

 

生みの父親といえば1997年に事件を起こし、警察に囲まれるなか銃で脳天を撃ち抜き自殺。

母もその後の1999年に、従姉妹の運転するトラクターが事故を起こし、従姉妹は死亡、母本人は脳損傷。

2000年に彼氏は母と離婚しました。

その後ウェイスは、身内である父方の祖父の元へ身を寄せます。

 

小学生の頃には学校を転々とし、中学の頃には成績不良と素行不良により留年。

ラーニングセンターと呼ばれる学校の特別教育プログラムを受けさせられました。

 

高校時代

2003年9月にはレッドレイク高校に編入しますが、彼の過去のワルガキっぷりは先生や生徒にしっかりと覚えられており・・・。

学校に通いたくないとしばしば申し出ますが、厳格だった祖父は彼を無理やりにでも学校に通わせていました。

 

社会科担当だった彼の教師バクスターは、「一般の生徒より授業態度はよかった。静かだが問題は起こさなかった」と述べていますが、別の教師が言うには「ワルガキそのもの。学校に来るとうっとおしいくらいだった」と後に開口しています。

ウェイスは6フィートもある慎重や250ポンドもある体重を他の生徒に馬鹿にされていましたが、彼らのあざけりなんてどこ吹く風という態度で過ごしていました。

 

先ほどの教師の例から見ても、強い2面性を感じます。

どうやら、彼自身はずいぶん「偏りがあった」みたいです。

「私の問題は彼にしか相談できなかった。彼なら理解してくれた」と語る友人もいれば、「彼は人に心を開かない」と語る人も。

学校中が彼の家庭問題を知っており、それにより避けられることが多かったようですが、それでも信頼を寄せる友人はたくさんいたようです。

 

普段から”ダークサイド”なノートを持っていたと友人は語ります。

ノートの画像は手に入りませんでした。

しかし、彼が作った動画作品(フラッシュ)がネット上に残っていました。

大変短い物ですが、ご覧ください。

 

Target Practice
Clown

 

ネット活動

ネット上でのウェイスは”Regret”という名前で活動をしています。

後悔という意味の名前は、彼自身がつけたんでしょうか。

 

レッドレイクに住むことへの不満

彼の人生は自分でコントロールしきれていない事

そんな愚痴を発散するかのように、ネット上に多くのコメントを残しています。

 

 

「友情より酒を取る場所」

「女は男と寝る為に”身体と血”を犠牲にする」

「自分で墓穴を掘ることから逃げ出せない」

鬱気分から抜け出せず彼はついに

2004年5月に手首を切り自殺を図ります

  

しかし死ぬことは無く、またコレにより考えを変えたことをネットに書き込みしていました。

人生で多くのことを経験したけど、ほとんどのヤツが選ばない暗い道を選んだ。

カッターで手首を切り床に落ちる血を見て、俺の道はコレじゃないと感じた。

~ウェイスの書き込み

 

ですがその翌月には再び自殺未遂をしており、メディカルセンターから抗うつ剤プロザックを処方されています。 

 

報道によると、彼はネオナチ系の掲示板に頻繁に現れ、アドルフ・ヒトラーの考えに賞賛したり、ネオナチについて「ネイティブアメリカンも考えを改めるべきだ」とコメントしています。

 

事件当日

2005年3月21日、祖父とその恋人を撃ち殺したウェイスは、その足でレッドレイク高校に

祖父のパトカーで向かいました。

校内に侵入する前に、非武装の警備員デリック・ブランを殺害

侵入後のウェイスは、廊下と教室をうろつき

ネヴァウィンコープ・ロジャース(教師)デワイナ・ルイス(生徒)を殺害

その後も、チェイス・ルシエ(生徒)シャネル・ローズベア(生徒)を殺害。

 

事件により駆けつけた警察と短い銃撃戦を交わしたことで、股関節と足に負傷したウェイスは、別の教室へ足を引きずりながら逃げ込み

 

ショットガンで頭部を打ち抜き自殺

 

これが、彼の選んだ道。

奇しくも彼の父と同じ最後を迎えました。

 

まとめ

友人は沢山いたようですが、彼にとって”心を許せる親友”はいなかったのかもしれませんね。

残念ながら、その銃弾の多くは生徒に向けられていました。

年の近い人を狙った犯行から、彼は死後の世界を信じていたのかもしれないと感じました。

祖父たちや生徒たちは、道連れにされた可能性があります。

死んでもまだ「ひとりぼっち」なのは嫌だったんでしょうか。

 

また、彼のネット名であった”後悔”はいったい何に対する後悔だったのか。

もしかしたら、生まれてきたことへの後悔だっだのかも。

「現実なんてこんなもんだ」と全てに折り合いをつけて、普通に生活を送るという選択肢は彼にはなかったようです。