アーサー・ショークロス①:戦争の被害者でありながら、性欲に人生を支配された男。通称:ジェネシー・リバー・キラー

アーサー・ショークロス①:戦争の被害者でありながら、性欲に人生を支配された男。通称:ジェネシー・リバー・キラー
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

サイコパスの特徴によく見られるのが

異様までに旺盛な性欲

というものがあります。

 

とはいえ、あなたにももちろん性欲は存在していますよね。

一体どこからが「異様に旺盛」だと言えるんでしょうか。

 

簡単に言うと

「アハハー、SEXしてー!」「フェラチオしてほしーなー!」という

頭の中がHなことでパンパン!

性欲が中学生レベル。

むしろこの「詰まっている」という意味で使用した「パンパン」という単語に、別の意味を見出した方は特にご注意ください。

 

あなたもサイコパス予備軍かもしれません。

 

というわけで、本日ご紹介するサイコパスはこちら

 

アーサー・ショークロス

(1945年6月6日- 2008年11月10日)

 

本名:アーサー・ジョン・ショークロス

通称:ジェネシー・リバー・キラー

 

幼少期

メイン州キタリーのアメリカ海軍病院で生を受けたショークロス、出産予定日の2ヶ月前に未熟児として誕生。

父は軍人でしたが、この出産を期にウォータータウンへ引っ越すことにしました。

ショークロスは街の子供たちと馴染むことができませんでした。

6歳に至っても赤ん坊のような発言が多く、おねしょが解消せず、親から叱られるとすぐに家から逃げ出したそうです。

当時行われた知能テストでは、「標準値以下」と記録されています。

いつも1人でいるショークロスに対し、他の子供たちは彼を泣くまでからかい続け・・・。

時間の経つ毎に成績が落ち込み、高校生の頃に学校を中退。

その件で家族からは非難を浴び続け、酷く苦しんだそうです。

 

また同時期

彼はSEXの下僕でした。

9歳の頃に母親からのフェラを受け、中学の頃には皮が擦り切れるほどのオナニーを毎晩繰り返し、14歳になるまでに近所に住む”叔母さん”から性の手ほどきを受け、フェラしたりされたり、クンニしたり。

その叔母さんも大変危険人物で、ショークロスが”叔母さんの従兄弟”をフェラしている間に、近所の少女を捕まえてはショークロスと共に乱交に及び、行為後のショークロスに口でキレイにするよう命じます。

 

ショークロスのセックス欲は飽きを知らず、機会があればすぐにオーラルセックスを続けました。

 

その後も従兄弟の欲求は高まりつづけ、学校帰りのショークロスを車で迎え、車内でナイフを首筋に当てながらフェラさせます。

ショークロスは恐怖から上手くフェラできず、怒りすら覚えた従兄弟から

切れるほどアナルセックスされました。

それ以降、ショークロスは痛みを伴わずにオーガズムに達することは出来なかったと述べています。

 

高校中退、従軍期

高校中退後のショークロスは仕事を転々とし、時々些細な盗難の罪で逮捕されつつ、1964年に結婚。息子が1人出来ました。しかし1967年には離婚。息子の養育権は譲りました。

 

その後、1968年に徴兵によりベトナム戦争へ狩り出され、「人の殺し方」を学ぶことになります。

ヘリで激戦区へ運ばれては前線へ飛び出していく、そんな過酷な状況に最初はおびえ続けていましたが、すぐに彼は捕食者の目を見せ始めました。

 

ある時、ショークロスは2人のベトナム人女性が低木の中に隠れているのを見つけ

一人の頭を撃ち、もう一人を木に結び付けました。

撃たれた女性はまだ息をしている中、首を刈り取られポールに串刺しにし、敵への警告として利用。

それから彼女の太ももをスライスし、料理して食べました。

 

もう1人の女性には銃を突きつけて強姦し、撃ち殺す直前までフェラさせ続けました。

当時のベトナムは、まるでショークロスのために存在しているかのような

残虐地帯

事実、ショークロスは戦闘外の休暇中にもベトナム人売春婦を何名も”行方不明”にしたようです。

 

戦争が、彼の罪を全て正当化しました。

 

一時帰国、戦争で変わった精神

戦争から帰った後も、興奮状態を抑えることが難しいとわかると、ショークロスは信じられないほど強烈に妻を殴り始めます。

それはちょうど、残りの兵役を全うするためにシルシルオクラホマへ移送されたときでした。

 

精神科医が妻のリンダへ、「治療と休息が必要だ」と説明しますが、彼女はクリスチャンであったことから医者の診断を信じておらず、治療法への署名を断りました。

妻の家族が献身的なクリスチャンである事にも怒りを覚え始め、オクラホマからニューヨークのクレイトンへ引越したあたりで離婚。

1969年4月には、着々と溜まっていくストレスを解消すべく、地元の製紙工場へ火を放ち、その年の後半にも彼が退役してから勤めていたチーズ工場へ放火

 

後に逮捕され、刑務所で3人の黒人からレイプされたとされていますが、後にレイプ犯3名をそれぞれ別の事件で

レイプし返し復讐したと主張しています。

 

続く


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