アーサー・ショークロス②:オーラルセックス大好き男は、何度も現場に舞い戻る。
- 2019.02.21
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ。
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
それでは前回の続きを。
アーサー・ショークロス

(1945年6月6日- 2008年11月10日)
本名:アーサー・ジョン・ショークロス
通称:ジェネシー・リバー・キラー
セックスの仕方
ベトナムで囚われたベトコン市民に対しての、ショークロスのセックスはとっても特殊。
なんてったって、「痛みを伴わないとオーガズムに至れない」んですから。
カミソリの刃を、もう取り出せなくなるほど膣の奥底に仕込み、ペニスを切りつけながら楽しみます。
時には女性の膣に消火栓のホースを入れ、水をぶっ放します。
ほとんど即死だそうです。
サディストでありマゾヒストのダブル性癖を、思う存分楽しんだようですね。
狂ってます。
放火事件から出所後

1971年、2件の放火の罪により懲役5年を宣告されていたショークロスですが、刑務所内で起こった暴動から警備員の命を救ったことが功を奏し、早期釈放されることになりました。
新しい人生を始めるためにウォータータウンへ戻り、公共事業部で便利屋として働き、3度目の結婚をします。
ペニー・ニコルは彼と性的関係を持っていた、姉妹のジェニーから紹介されました。
ジェニーが恋人との子供を妊娠したことにより、ショークロスとのプレイを楽しめなくなったからだとショークロスが主張しています。
結婚から8ヵ月後、事件は起こります。
ショークロス、シャバでの殺人

1972年6月4日、ショークロスの家の近所にすむメアリー・ブレイクという女性が、夜遅くになっても帰ってこない息子ジャック・ブレイク(10歳)を探していました。
ショークロス自身にも「息子を見なかったか?」と聞いていますが、「朝から彼には会っていない」と答えています。
しかし、この失踪はショークロスの手によるものでした。
少年を「釣りに行こう」と誘い出し、深い森に連れて行った後

全裸にして、森の中で命がけの鬼ごっこ
捕まったジャックはもちろんレイプされ、首を絞めて頭を殴打し殺害します。
その後
チンコと心臓を取り出し、お食事タイム
遺体は森に埋められました。
その3ヵ月後

警察がジャックの捜索をしている最中に、カレン・ヒル(8歳)がブラックリバー近くの橋の下で死んでいるのが見つかりました。
可哀想にこの少女は、例の手口でアナルまで犯されており、絞め殺されていました。

その後ジャックとカレンの事件の日、両件共にショークロスとの目撃例があったことから、ショークロスが容疑者に挙がります。
遺体近くの橋でアイスクリームを食べていたショークロスを、警察はピックアップし尋問を行いました。
尋問の結果、罪を告白したショークロス。
実は、カレンの現場である橋の近くにいたのは
カレンの遺体でオナニーするためでした。
二度目の刑期

25年の懲役刑を宣告され、刑期が始まった最初の8年間は大変な物でした。
刑務所内には「犯罪序列」というものがあり、「小児性愛と小児殺人」は序列の中でも最下層。
虐げられること間違いなし。
他の囚人からボッコボコにされないよう、自分の身を守ることで精一杯だったようです。

刑務所内で行われた精神鑑定テストでは、神経学的障害はまったく見られず健常者そのもの。
刑期中に高校卒業の資格を取得、ペンシルベニア州立大学の通信コースへ入学し、「自分自身を改善すること」を続けました。
結果として多数の反対はあったものの、1987年3月には「再び社会に出るのにふさわしい」と早期釈放の資格が与えられます。
しかし彼の存在はとっくに知られており、近所の人や職場に受け入れられないショークロスは、妻のローズマリーと共にニューヨークのデリーに引越し。
そこでも後に迫害を受け、ニューヨークのロチェスターへ移動。
そこでやっと、自分の居場所を見つけます。
連続殺人開始

1988年3月から2年間、ショークロスはその土地の娼婦たちを中心に計12人を殺害します。
1 | ドロシー ・”ドッツィー”・ブラックバーン | 27歳 | 1988年3月18日(失踪) | 1988年3月24日(発見) |
2 | アンナ・マリー・ステフェン | 28 | 1988年7月9日 | 1988年9月11日 |
3 | ドロシー・キーラー | 59 | 1989年7月29日 | 1989年10月21日 |
4 | パトリシア・パティヴ・アイブス | 25 | 1989年9月29日 | 1989年10月27日 |
5 | ジューン・ストット | 30 | 1989年10月23日 | 1989年11月23日 |
6 | マリー・ウェルチ | 22 | 1989年11月5日 | 1990年1月5日 |
7 | フランチ・ “Franny”・ブラウン | 22 | 1989年11月11日 | 1989年11月15日 |
8 | キンバリー・ローガン | 30 | 1989年11月15日 | 1989年11月15日 |
9 | エリザベス ・”リズ”・ギブソン | 29年 | 1989年11月25日 | 1989年11月27日 |
10 | ダーレン・トリッピー | 32 | 1989年12月15日 | 1990年1月5日 |
11 | ジューン・シセロ | 34 | 1989年12月17日 | 1990年1月3日 |
12 | フェリシア・スティーブンス | 20 | 1989年12月28日 | 1989年12月31日 |








どこが再び社会に出るのにふさわしかったのか 。
しかも、遺体が発見されるまで何度も現場に舞い戻り
腐った遺体とセックス。
肉を切り取っては食べ、持ち帰る。
ジューン・シセロの遺体が見つかった1990年1月3日の2日後、ショークロスは警察から目をつけられていました。
ショークロスは、サーモンクリーク川の橋の上で車を止めていました。
ヘリから見えたのは衝撃の場面

上空から見た川の中に、「氷付けの遺体」の輪郭が見えていました。

ダーレン・トリッピー の遺体
ショークロスを追いかけて尋問する警察。
尋問は長期にわたり、コレに根負けしたショークロスはついに犯行を認めます。
ショークロスは計250年の刑に処されましたが、2008年11月10日早朝足に痛みを訴えた後、心臓発作により自然死。
2度目の刑期が早期に解消されたことは、全米の司法制度に対する多大な批判に繋がることになりました。
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