ルイス・ガラビート:コロンビアの猛獣を前に、逃げ切れる少年は居なかった。通称ラ・ベスティア
- 2019.03.05
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ。
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

個人経営の飲食店が大好きです。
店長と仲良くなれば、飲食業界の裏話が聞けたりちょこっとサービスして貰えたり、お得感満載です。
私が店長とスグに仲良くなるための手法の一つに、「Googleを活用する」という技があります。
「Googleプレイス」という機能を使って、Googleマップ上にコンパス針のようなマークを表示させ、お店の場所や営業時間などを登録することが出来るんです。
みんな使ったことあるんじゃないかな。
ココに掲載されたお店情報と、実際にお店を訪れた際に見聞きした情報を刷り合わせ、間違いを修正したり登録し直したりしてあげると

チョー喜ばれます
こんなもん、分かってる人にとっては「スマホタップ数回」で終了してしまいます。なのでコスパ抜群。
現在住んでいる地域のマップには、私が修正加筆をした場所がゴロゴロあります。
良かったらお試しください。
「地図に印をつける」といったら、こんなヤツが居ましたね。
というわけで、今回ご紹介するサイコパスはコチラ!
ルイス・ガラビート

(1957年1月25日~)
本名:ルイス・アルフレード・ガラビート・クビージョス
通称:La Bestia(ラ・ベスティア:野獣)
”野獣”の成長過程

1957年にコロンビア西部のコーヒー栽培地である、クインディオのジェノバで7人兄弟の長男として生まれました。
父親が日常的に暴力を振るう家庭で育ち、長男のガラビートはそれに加え父から日常的にフェラチオを迫られるという性的虐待もあったり、時には近所の男2人にレイプされることも。
「Infierno(地獄)」のような場所だったと言います。

ガラビートは5年間の学校教育を受けたのち、16歳で実家を
大脱走
最初は店の従業員として仕事に就き、のちにアクセサリや宗教シンボルのステッカーを路上販売するようになります。

大人になっても仕事が上手くいかず、さまよう様に次の街次の街と移動を繰り返し、次第に酒におぼれるように。
警察の報道では、この頃までに少なくとも1度の自殺未遂、5年間のカウンセリングを受けています。
la bestia覚醒のとき

1992年、彼の”la bestia”としての本性が牙をむき始めました。
日中に、路上に溢れる浮浪者の少年をターゲットにし、混雑した市内から鬱蒼とした森の中へ巧みに誘い出しました。方法は、「仕事を紹介する」もしくは「クスリ代をあげる」とそそのかす事が多かったようです。
盛大に酔っ払ったガラビートは、少年たちを木に縛りつけ
アナルプレイに興じます。その上
火で炙ってみたり、爪を剥がしたりの拷問を繰り返し
最後には喉元をスパッと切り裂き殺害します。
幼少期の自分の体験からか、少年たちの苦しむ姿を眺めるのが好きでした。

ガラビートは頻繁に滞在場所と仕事を変え、髪型も変えて偽名を使い分け、警察の捜査をかく乱します。
こうして彼の長い”狩猟期間”が開始しました。

1998年2月、コロンビアのジェヌアの郊外で、2人の少年の全裸遺体が隣同士に横たえられているのが発見されました。
近年では、似たような遺体が丘の斜面で発見されることが多く、警察は何者かによる連続殺人の可能性を示唆します。しかし翌日
わずか数メートル先で3つ目の遺体が見つかることに。
3体目はバラバラに解体されており、首は深く切られペニスには切断されており、噛み傷とアナルセックスの痕跡が残されていました。
近くにはローションのビンまで。

この時、既知の連続殺人犯が居たため、ガラビートは逃げおおせることに成功。
犠牲者は、近くの町に住んでいた11歳と13歳の少年で、貧しい家庭を助けるために果物やガムを通りで売り歩いていた、親友同士だったそうです。

ある被害者の母親は、少年が帰宅した際に「牛の輸送をしている男を手伝ってくる」と言い残し失踪したと述べており、ガラビート自身もその時に手に入る服装(司祭、露天商、農民など)を巧みに使い、「仕事を手伝ってくれたら給金を払う」と約束し連れ去っていたようです。
ゲームに興味がある子供たちには、掛け金を肩代わりしていました。
しかし、単にお金を提供するのは疑われるため、仕事の対価として他より少し大目の給料を払うと約束し誘い出す手口でした。
捜査の状況

アルメニア州の捜査局にて4人隊が結成され、捜査が開始されます。
初期の犯行には連続性が見つからず、各地域で捜査が行われていましたが、この時点で
被害者数が既に”何百件”も。

ターゲットにされるのは8~13歳の浮浪者層の少年、学業に恵まれず知性はそれほど高くない。
そして昼12時前に姿を消し、のちに植物の生い茂った丘の斜面で遺体となって発見されます。
遺体はほとんどが埋葬されず、地上に放置。殺害に向いたフィールドがあれば、複数回そこで”狩り”を行う。
残念ながら噛み傷のX線は、1998年に発生したコロンビア大地震により崩落したビルに押しつぶされ、近代科学が使えない”制約のある捜査”しか行えなかったことが、犯行を長引かせたのかもしれません。

ガラビートは、たとえ危険な状況下でも犯行を止めることが出来ませんでした。
1996年6月8日の午後、ボヤカの街で少年が行方不明になりました。
遺体は5日後に発見されましたが、
切断されたペニスが口に詰まった状態で断頭されていました。
スグに捜査が始まり、その少年が最後に他の数名の子供たちと見知らぬ男にお菓子を買ってもらっていたという証言を得ます。
見知らぬ男をガラビートと特定した警察はスグに尋問しますが、「お菓子は買ったが、その後スグに1人になった」と述べました。

そのたった4日後、13歳の少年がガラビートの手によって殺害されています。
どの遺体にも必ずアナルセックスの痕跡がありましたが、それが死後に行われたのか生前に行われたのかは明かされていません。
また、重度のアルコール中毒であったガラビートは、犯行現場に公然とシュナップスの酒瓶を転がしていました。
変装に偽名を用いるにも関わらず、現場には痕跡を残しまくるストロングスタイル。これは、快楽を得ることだけに注力していたというサイン。
彼自身、「いつ逮捕されてもおかしくない」と考えていたことが見て取れます。
野獣の捕獲

1999年4月22日に西部のビリャビセンシオにて、12歳の少年をレイプしようとした所を近隣住民に見つかり、逮捕されました。
逮捕後に犯行を自供し、適切な殺害場所を見つけるとセクターに分割し、各セクターで1人を殺害するという方法を取っていたことが分かります。
刑務所内で、地図上に”死体の隠し場所リスト”を書き込みましたが、


その数、300超。
警察側もコロンビアの各地方で172人以上のストリートチルドレンが殺害されていると疑いを掛けていました。

ガラビートは、2003年までに計210回の有罪判決を受け、約2600年の懲役刑を宣告されました。しかし、コロンビア刑法が改正された2000年からは、死刑判決や40年以上の拘束は出来ない決まりになっています。
暴力が半ば日常的であるコロンビアでも、ガラビートの起こした事件は民衆に衝撃でした。事件の凶悪性から考えて刑が軽すぎる、死刑や終身刑を適応すべきだと声が上がりました。

コレに答えてかどうかは分かりませんが、Inpec長官のグスタボ・アドルフォ・リカウルテ将軍は、「この先、25年、30年、40年後に自由になることはない」と話しており、新たな殺人での起訴で刑期を上積みしていき、事実上終身刑にする可能性があります。
コロンビア史上最多の殺人数は、今でも更新されていません。
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