マタ・ハリ:伝説の”女スパイ”の真実に迫ったら、すこしだけ後悔した。

マタ・ハリ:伝説の”女スパイ”の真実に迫ったら、すこしだけ後悔した。
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

なぜ男は”女○○”に弱いのか。

女教師、女医、女剣士、女学者・・・

様々な男を虜にしてきた職業に”女”を付けていくスタイル。

私も月に一度は検索ワードとして使用します。

理由は聞かないでください。

 

中でもこのブログに最もふさわしいエロ・・・、職業として忘れて欲しくないのは

女スパイ

( ̄∇ ̄ノノ\パチパチパチ!!

 


中国には妲己、エジプトにはクレオパトラ、日本では木嶋佳苗など、女性の謀(はかりごと)によって世界が動いた歴史も多く、「彼女のためなら世界を敵に・・・」なんてほざき出す男性にはご注意ください。イカれてます。

 

そんな歴史を変えた女の代表格、今日はそんな方をご紹介します。

 

 

マタ・ハリ

(1876年8月7日~1917年10月15日)

本名:マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ

パリを中心に活躍したオランダ人ダンサー、ストリッパー。

しかしてその実態は・・・

 

マタ・ハリ、その栄光と衰退

オランダはフリースラント州、レーワルデンにて生まれたマタ・ハリは、4人兄弟の長女。

父親の石油産業への投資が大成功し、帽子屋としても成功を収めていたことで、かなり裕福な家庭で育った彼女は、唯一の娘であったこともあり父から溺愛されて何不自由ない生活を送っていました。

 

しかし事態は暗転、父は石油株投資に失敗し、借金で損失を補填しますが、その借金は増えに増えてゆき・・・

 

 

1889年、破産

両親は離婚、子供たちはそれぞれ別の親戚の元へ。

2年後母は心労から亡くなり、父は1893年2月9日にスザンナ・カタリーナと再婚。

結局一家は離散し、もう戻ることはありませんでした。

 

後見人を頼ってライデンに移住したマタ・ハリは、経済的に独立すべく幼稚園の先生になるため勉強します。しかし

 

学長が彼女にメロメロ

これが後見人の癇に障ったことで、彼女は施設を追い出されることになりました。

 

19歳の頃にはデン・ハーグへ移住し、新聞に掲載されていた「結婚相手、募集中!」という記事に応募。21歳年上のオランダ軍将軍と結婚。

出会ってからたったの100日でした。

 

夫の仕事に伴い、ボルネオ、スマトラ、ジャワなどを転々とし、2児の母として幸せな生活をしていました。

しかし、軍人というのは悲しくも、「結婚していない者は、人物的に問題があるのかも知れない」という理由で信頼されないという職業社会を形成しており、この結婚も実は

「愛無き結婚」だったんです。

まだ若く価値観の合わないマタ・ハリ、加えて夫の女癖の悪さから関係は悪化、そこに追い討ちを掛けるように息子が亡くなってしまいます。

結果1902年に離婚。子供は夫が引き取りました。

 

マタ・ハリ、道を見つける

失意のうちにオランダへ帰国したマタ・ハリ、仕事を求めてパリに移るも上手くいかず生活は困窮。

しかしある日、友人のパーティーで見様見真似のジャワ舞踏を披露

大ウケでした。

私自身、「踊っている女の子と歌っている女の子は、可愛さ70%増量中」という持論があります。

元が美人なのにそんなことされた日にゃ、もうまぶしくて目も当てられませんよ。

 

マタ・ハリ自身も「コレだ!」と掴んだらしく、1905年

 

「ジャワ島からやって来た踊り巫女」

という大ボラ吹いて華々しくデビュー。ショービジネスで成功を収めることになります。

 

彼女の踊りは口コミで大々的に広まり、小さなサロンで少人数相手に踊っていたのが、あれよあれよという間にヨーロッパ中で話題に。

イタリアのミラノ・スカラ座という当時の超有名大劇場で人気を博す大スターになりました。

 

 

ちょうどこの頃、本名のマルガリータから「太陽」や「暁の目」などを意味する「マタ・ハリ」という芸名を使い始めています。

 

マタ・ハリ、表舞台から裏舞台へ

まぁまぁ考えても見てくださいよ。

当時のダンサーっていったら

 

この格好よ?加えて”エキゾチックダンス”よ?

 

 

 

あんなことやこんなことが無いワケがない!!

分からない人はおとうさんかおかあさんに聞いてみてね。

 

表舞台では人気ダンサー、しかしてその実態は、軍上層部や政治家などの高官を相手取る

 

そう、夜の蝶

 

男はこういう舞台に弱いんです。女には良いとこ見せたいんです。ベッドを共にする相手にはそりゃもう・・・。

マタ・ハリ自身、数え切れないほどのフランス軍将校やドイツ軍将校を相手取り、夜の”戦争”を戦い抜いたようです。

 

 

”戦争”で生まれた絆は、男の口を軽くするには十分でした。

 

 

マタ・ハリ、彼女は本当に・・・?

さぁ、ここからが問題です。

当時のフランスとドイツは大戦の敵同士。加えてフランスはもんのすごく負け戦。なんてったって

 

フランス軍の作戦がバカ過ぎて、予定の20倍ほど兵士が失われる程。

「作戦変えろバカ指令部」というストライキで、まともな戦争もできてない状態で、フランス軍は政府から「おいどうなってんだ!!!」という通信を毎日受ける始末。 

なぜこんなことになったのか・・・。

 

結局フランス政府は”1つの結論”にたどり着き、それに従い行動しました。

 

 

1917年10月15日、フランス軍法会議の決議により「マタ・ハリ」、スパイ容疑で処刑さる。

  

いやいやちゃいますや~ん!!

ヽ(゚Д゚;)ノ!!

ちゃいますやんか、そんな~ん!

コレにより銃殺刑に処されたマタ・ハリ。「凄腕のスパイ」として歴史に名を残すことになりました。

そりゃ凄腕のスパイでしょうよ。証拠が一切無いんだから。

 

 

一応、ドイツのスペイン駐在武官がマタ・ハリを暗号名「H-21」なるドイツのスパイだとして扱ったとする通信を、フランス軍が解読したとされています。

フランスが言ってるだけです。ドイツはその事実を認めていません。

 

 

ダンサーになった1905年には既に29歳よ?まぁ女性としては熟れに熟れて色香を出す・・・チガウチガウ。

逸話として「処刑の際、マタ・ハリの美貌に惑わされないように目隠しをされた」とかあるけど

 

処刑当時41歳よ?

そこんとこどーなのよ。

えぇ?どーなのよフランスさんよぉ!

 

残念ながら関係者は現時点で当然生きておらず、真相は明かされることは今後も無いと思われます。

 

思い出は、美しいままに葬ってしまったほうがいいのかもしれません。

今回は、”サイコパスは軍部だったのかもしれない”というところで、幕を下ろしたいと思います。

 


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