ケネス・フォスター:俺はやっていない!
- 2019.03.11
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でお馴染み、ガンダルフと申します。
俺はやってない!!
今日はそんなお話。
ケネス・フォスター

(1976年~)
テキサス、サンアントニオで薬物中毒の父の元に生まれたケネスは、両親がよく警察に逮捕されていく姿を見ていたようです。父は仕事の変わりに強盗で金を稼ぎ、家族を養っていました。
まだ幼い頃は、父から犯罪の手ほどきを受けるような家庭環境でしたが、小学4年生の頃に祖父母に引き取られてからは、かなり安定した家庭で成長していきました。

しかしケネスは1996年頃から、音楽業界で生きていくつもりで仲間とつるむようになります。
ココからはケネスの証言です
事件前後のケネス

いつも4人の仲間と車で様々なクラブに入り浸り、酒をあおる生活をしていたところ、8月14日に転機がやってきます。
「強盗をやろう」
仲間の1人が持ちかけてきました。
ケネスはNOと言えず、そのまま2件の強盗を行いました。
本人に”罪の意識”がハッキリとあったため、自ら進んで金を求めていたのではないと述べています。

また後日、仲間と4人でマリファナを回し吸いしながらクラブへ向かって車を走らせていたところ、別の車が前を走っていき、一軒の住宅の前に止まるのを見ました。
ケネス達は直進、しかし行き止まりだったためUターン。
住宅地へ出るところを、民家に繋がる私道に立っていた女性に止められ、「知り合いかしら?つけてきたの?」と問われたとケネスは言います。
仲間のマウリシオが「いい女じゃねぇか」と呟いたところに女性から「じゃあ記念撮影でもする?」と持ちかけられたとケネスは語ります。
ホイホイ車から出て行くマウリシオ。

その後、一発の銃声が響き渡りました。
ケネスの口から語られるあらまし

どうやら即興の計画的犯行だったようです。
ケネス自身には知らされず、二人の同乗者マウリシオとジュリアスは、3人目からもらったピストルを使って通行人を襲っていたようでした。
マウリシオはその女性を追いかけたところを、女性の男友達であるうマイケル・ラフードと出会ってしまいました。

女相手の簡単な仕事のつもりが、男性が登場し二対一の劣勢。緊張が高まり、マウリシオは即座に発砲。マウリシオはその後茫然自失として車に戻ります。
ケネスはどうしていいかわからず車を出しました。しかし4人の仲間はその夜のうちに逮捕されます。

判決は全員死刑
刑の執行

仲間であり首謀者だとされるマウリシオ・ブラウンは2006年に刑を執行されました。
ケネスに関して司法の場で取り上げられたのは、「ケネスは事件当時、20m離れた車の中に居た」「彼は犯行に直接関わっていない」という二つの法的事実。
しかしテキサス州刑法に存在している、「犯罪に関与したものも責任を問われる場合がある」という一文により死刑判決。
これがニュースへ持ち出され、ケネスを祭り上げた「人種差別的司法制度を許すな」という大々的なキャンペーンが動き出しました。

2007年8月29日、ケネス自身も執行日の前日に房から連れ出され、死刑執行室の房へ移送されます。
移動の際は恐怖から足が動かず、必死の抵抗で地面に伏せて移送を拒んでいたケネスも、とうとう死を覚悟しました。
しかし

死刑執行の6時間前、ケネスの減刑が発せられます。
こうして彼は終身刑となり、2036年に仮釈放を受けるチャンスを手にしました。
ケネスの証言はココまで。
話のオチ
彼は確かに更正の機会を得ました。ですが

事件当時、現場の付近にクラブなんてないんです。
車を走らせていたのはケネス自身。行き止まりでUターンしたこと自体、おかしな話なんですよ。
彼は本当は前を走っていた車をターゲットにしたのではないでしょうか。
彼は本当は強盗を止めていたんでしょうか。

ケネスの祖父は90歳でまだご存命。彼が自由になる日を待ち望み、刑期を縮める活動を続けています。
亡くなったマイケルの弟にいたっては、ドラッグの売人だったところをこの事件ののちに更正し、なんと

この事件を担当する地区の地区検事に。
兄を殺された事件を裁いていました。頻繁にケネスと面会を行っていました。
しかし彼は2018年、地区検事2期目の選挙に落選。
彼とケネスはその後、会っていないそうです。
ケネスは「自分にも罪はある」と言います。
この言葉は真実なんでしょうか。
彼は本当に”裁かれるべき存在”なんでしょうか。
事件の真相は、一体どこにあるんでしょうか。
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