佐川一成:「パリ人肉事件」”人を食った”ステータスで成功した男【閲覧注意】

佐川一成:「パリ人肉事件」”人を食った”ステータスで成功した男【閲覧注意】
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

”ステータス”を欲しがる人は沢山います。

ゲームのようなステータスではなく、”自分を成功者たらしめる物事”の方ですよ?

誰もが成功者になりたくて努力をするし、ステータスを身に着けることを求めます。ここに例外はありません。

人の承認欲求というのは強力な物で、少しほめられるだけでも心の中は幸せで満たされる。

誰もが誰かを褒めあえば、素晴らしい世界が訪れるのではないでしょうか。

 

コイツ以外はな。

 

 

佐川一成

(1949年4月26日~)

フランスを恐怖に包んだ「パリ人肉事件」の犯人

 

 

幼少期

彼が生涯通して悩んだ問題は「サイズ」

生まれたときには、父親の片手に乗るほど小さな未熟児として生まれ、事件当時には152cmしかなく日本人としても小さい部類に入るのではないでしょうか。

 

兵庫県神戸市で生を受け、出生の一年後には腸炎により生と死の境を行ったり来たり。何歳まで生きられるのかを常に心配されるような状況の虚弱体質でしたが、何とか生きながらえました。

 

 

文学に興味を示す内向的な性格で、シェークスピアに傾倒しつつ「戦争と平和」「嵐が丘」といった”芸術”を愛する少年でした。

 

高校時代には文学同人誌「白樺」によって起こった一大文学ブーム「白樺派」にも傾倒し、自ら短編小説を書き、武者小路実篤に会って弟子にしていただけませんかとお願いに上がることもあったそうです。断られてますけどね。

 

小学生の頃には、幼い子供を誘拐して食べる魔法使いの話を叔父から何度も聞かされていたようで、人肉への興味はこの頃始まったのかもしれないと本人が語っています。高校時代には精神科医へ度重なる相談をしていますが、取り合ってはもらえませんでした。

  

 

「ほとんどの女性が魅力を感じない」と言われるような手足の小ささとルックスは、彼自身も欠点として強く意識していたようです。

彼の最初の事件がそれを示しています。

 

最初の事件

東京の和光大学で英文学の学位を取得するべく勉学に励む彼の前に、一人の女性が現れます。

ドイツ言語を教えていたモイラ・マーティンゲールです。

ある夏の日、佐川は彼女のアパートに

 

 

窓から侵入

ほとんど全裸で眠っていた彼女を見て喜んだ佐川は、部屋に置いてあった傘を手にとって暴行しようとしましたが、彼女が目を覚まし叫んだため逃走。

のちに逮捕されましたが、父親が示談金を支払ったため告訴には至りませんでした。

通常の手段では、人を愛することが出来ないというコンプレックスにまみれていたのかもしれません。

 

 

その後1976年には、関西大学大学院で英文学の修士課程を修了し、1977年からフランスへ留学。3年後の1980年にパリ第3大学大学院で、比較文学の修士課程を終えました。

 

フランスは、彼を受け入れたことを後悔しているでしょう。

 

「パリ人肉事件」

文学クラスで隣に座ったのは、背の高い北欧系の美女レニー・ハーテベルトでした。

彼女のその白い肌から目を離せなくなった彼は、一瞬にして恋に落ちたそうです。

レニーは金髪の25歳で一人暮らし、フランス文学で博士号を取得する目的で勉強に励んでいる独立した女性です。三カ国語を話し、印象派の絵画やシェークスピアなどのヨーロッパ文学についても知見が豊富な素晴らしい女性。

佐川も馬鹿ではありません。以前の失敗より学んだことから、今度は慎重に事を進めなければ恋が実らないことくらい分かっています。

佐川は彼女にドイツ語を教えて欲しいと頼み込み、なんとか接点を持つことに成功しました。

 

 

いやいや、恋とは素晴らしい。

今度はまじめな手段で彼女に関わろうという人の変わりっぷり。

これも恋が成せる技でしょう。

 

彼女は彼からのラブレターを受け入れ、共にコンサートや展示会に行きました。時には彼女のアパートでお茶をして、一緒に踊って、彼女への愛が強くなっていくことに彼自身も気付いたことでしょう。

 

ある日佐川は、彼女を夕食に招待しました。彼女にドイツの詩を読んで貰ったりと素晴らしい関係を構築。彼女が帰ったあとは

 

 

座った椅子を嗅ぎ、なめ回すほどの愛しっぷり

愛が深まっていますね~。

 

あまりの愛に、持っていたレコーダーに詩を吹き込んで欲しいからと、次の食事会の日取りを1981年6月11日に設定します。

 

その後彼は愛のため、22口径のライフルを購入。

アパートに彼女を招きいれ、彼女が飲むお茶にウイスキーを仕込みます。彼女はウイスキーが好きだったのでしょうね。

 

彼女が”お茶”を飲んでからしばらく話した後に、佐川は「君を愛している」といい、ベッドに彼女を誘います。

 

彼女は断りました。ただ、お友達になりたかっただけ。

「あなたは魅力的だけど、性的魅力は感じられない」

そう言われた佐川はうなずき、詩の本を取ってレニーに渡し、彼女が読み始めるのと同じタイミングでレコーダーを回し始めます。

 

そして愛ゆえに

詩を読む彼女を、後ろからライフルで発砲

いや~愛が・・・?

え?死んでるじゃんか。

殺してるじゃんか。

 

 

彼の愛は、どうやら互いに成長を喜び合う種のものではなく、単なる「所有欲」だったようです。

 

それから彼女の服を脱がせようとしますが、遺体から服を脱がすのは簡単ではなかったようです。それでも彼女がそれを拒まないことにすら喜びを感じたと後に述べています。

 

 

「どこを最初に噛むかまよった」と述べていますが、佐川は彼女の右尻に噛み付き、噛み千切ろうとしました。しかしそれも難しく、ナイフで解体することにします。

 

鼻と左胸を切り落とし、肉の外側に張り付くコーンのような色とブツブツをした脂肪層を嗅ぎ、匂いが無いことに驚いたそうですが、切り取った肉の塊は「寿司屋のトロのように口で溶けた」と話しています。

 

 

この世界にこれ以上うまい物なんて無いと感じた彼は、彼女の身体が全て自分の物であることに大興奮。32歳になってついに夢を叶えたと喜んだそうです。

 

 

 

遺体から保存用の肉を切り分けたり、生のまま食べたり、油でカラッと揚げてみたり、マスタードを付けてみたり

そして切断後の遺体を写真に収め

 

欠損した遺体とセックスしました。

 

「彼女を抱きしめると、彼女は息を吹き返すようだった」

「彼女を愛してると伝えた」

もっと別の形があったろうが!

 

 

彼女の録音した詩を聞きながら、彼女を調理して食べ、食べ終わったときには彼女の下着で口を拭います。

「脂が強くて胸はあまり好まないが、太ももが一番美味しかった」と述べています。知るかよ。

 

 

食事に満足したあとは彼女をベッドに連れて行き、共に眠りました。

もう彼女は起きませんが。

逮捕

そのうち腐臭を放ち始め、ハエが群がってきたことから「レニーは美しさを失った」として彼の蜜月は修了します。

 

遺体を大きなスーツケースに詰め込み、ブローニュの森にある池に捨てようとしたところを目撃され逃亡しましたが、目撃者の通報により2日後に逮捕。

 

 

彼の冷蔵庫の中には、まだ”彼女”がいたそうです。

 

取調べ中に発した「昔、腹膜炎をやった」という証言を通訳が誤って「脳膜炎」と伝えたことにより、心神喪失状態での犯行と判断されてなんと

 

不起訴処分

 

その後はアンリ・コラン精神病院に入院しましたが、1984年には日本へ帰国しています。

 

日本警察は”彼は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を十分全うできる”として裁判にかけるつもりでしたが、フランス警察は

 

 

「不起訴にしたんだからこっちもメンツがあんだよ」

という理由により捜査資料の引渡しを拒否。

 

マスコミに有名人として扱われ、小説家として余生を過ごしています。

 

持病の糖尿病はあるものの、現在も存命中です。

食べることで彼女を自分に取り込んだという、密林部族のような脅威の思考で一時期日本を騒がせた彼も、現在では70歳。

犯行から約40年を経て、今思い出すのは果たして誰のことなのか。

人は過ちを繰り返す。皆さんもお気をつけください。