サイコパスについて本気出して考えてみたら、いつでも同じところに行き着くのさ。

サイコパスについて本気出して考えてみたら、いつでも同じところに行き着くのさ。
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

サイコパスは数多いれど、犯罪を犯して存在が発覚するケースは実は結構珍しく、その多くが既に一般社会に紛れ込んでいるというのは周知の事実。

今回は、コレまで多くのサイコパスについて調査してきて分かった私見を、シェアしてみたいと思います。

 

サイコパスとは残忍で気性が荒く、ウソツキで巧みに人を操ろうとするところがあります。

家庭環境によって生み出される行動もあれば、偏執病的な兆候から取る行動が「サイコパス的」であることも。

精神的疾患によって思考パターンに異常が見られる者や、脳神経の信号伝達が何らかの理由によって阻害または誤作動することによって、そういった危険思想が生まれるのではないかという説も唱えられていますが、結局のところ全てが未だ謎に包まれています。

 

 

基本的に、サイコパスって言うのは

”いじめっこ体質”

なんです。

誰かの上に立ち、下層の人々を己の意のままに操りたいという心根が、”人を騙す”という行動を引き起こします。その目的は多岐に渡りますが、多くの場合は”快楽”を目的にしたもので、性衝動はもちろんのこと、激しい興奮状態を引き起こす事象を好む傾向があり、動機もなく殺人を犯すものもいれば、金品を強奪する者もいます。

 

 

ここでハッキリさせておくと、世の中にはびこる全ての犯罪は”愛”か”金”、もしくは”快楽”を目的としたもののどれかでしかありません。

脳の異常が原因だと考えると、人間が生まれながら持っている5大欲求である”生命維持”、”安全”、”所属”、”承認”、”自己実現”のどれかを満たすために強い衝動を生み出すのではないでしょうか。

この欲求はサイコパス以外の正常な人ですら求めてやまない強い欲求ですが、通常は理性によって犯罪衝動を抑えています。しかし、サイコパスはこれらを実現するためには手段を選ばないということも、サイコパスたる所以の1つです。

 

 

ならば、理性とはどこから来るものなのでしょうか。

理性とはそもそも、その人物が持つ善悪の判断基準と大きく関わりがあると私は考えます。

善悪の判断基準がどこから来るのかというと、それは自らが育まれてきた環境が大きく関係しているのではないでしょうか。

自身に教育を施した人物が親であれ祖父母であれ、「コレは正しい」「コレは間違っている」という判断基準の基礎を人間に組み込んでいるのは間違いありません。

人間は「他者との関わりを皆無の段階まで断ち切られると絶命する」という実験が、12世紀ローマで行われた「ネグレクト実験」により判明しています。

現在では人道的に不可能な実験ですが、裏を返せばこの実験は「他者との関わりがあるから人は生きていける」という事実の裏づけとも捉えることが出来ます。

 

 

つまり、必ず基準を教えた人間がいるんです。

人は言葉だけでなく、視覚や嗅覚などの五感からも何かを感じ学ぶことが出来ます。

大事なのは、それを感じた際に取る行動です。

 

子犬を蹴っている人間を見て、何を感じるでしょうか。

一瞬でも「かわいそうだな」と思う心があれば、良くて止めるし悪くて無視するでしょう。もしその行動を自分もやってみたいと考えるならば、その人物はろくな生育環境にいなかったことが伺えます。

これはよく言う「他者の痛みがわからない」という状況なのかもしれません。

他者の痛みを自分が受けた際に、どういった感情を伴うのかを理解していれば、この思考には至らないのでしょうか。

いや、他者に苦痛を味わせたいと考えることもあるでしょう。

それは深い恨みや妬みなどの、”負の感情”から生み出されるものであるべきです。

しかしサイコパスにとっては、他者に痛みを与えること事態が快感になっている可能性があります。

 

 

それは苦痛に悶える表情でしょうか。はたまた傷や流れ出る血でしょうか。彼らはそういったものに興奮を感じるんです。

 

私自身、感情は財産であると人に説いています。

自分の感じた心の動きは、誰のものでもないあなた自身のものです。

それは他者には決して理解できないものであり、その高ければ高いほど、低ければ低いほど、稀有な体験としてあなたの心をかき乱すでしょう。

そうして得た経験は、何者にも変えられない”アナタ”を作り出します。

つまり感情の触れ幅が大きいほど、誰にもしたことがない経験をしたと捉えることが出来ます。

これは一種の”自己実現”なのではないでしょうか。

 

 

たしかにサイコパスには”力の証明”をしたがる節があります。

獄中で高らかに自らの犯行を語った者も、反抗を行う現場に友人を連れ立った者もいました。それはいわるゆ自己実現の瞬間を他者と共有したいという感情から取る行動です。

 

他者には不可能な行為に対し、甘美に酔いしれるんでしょう。

しかし、サイコパスには性質的に”なにかを成し遂げる”段階までコツコツと地道な作業をやり続ける能力が皆無なんです。

短絡的で他者には成し遂げられないような技術を持たない彼らが、唯一容易にできる”他者には出来ない行為”があるとすれば、それは暴力でしょう。

 

 

己の欲求を満たす自己実現が目的ならば、つまりは必ず勝てる相手に対して暴力を振るうしかないんです。

動物から始まり、女性や老人、最悪の場合は子供を対象とした暴力事件を引き起こす。

これが、サイコパスが残忍な事件を起こす心理的理由であると、今の私は考えています。

 

 

育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない。

山崎将義もそう言っている様に、 人と人には分かり合えない部分が確かに存在しています。

だれもがそれを受け入れることが出来れば、この世に不和は訪れません。

他人を受け入れるためには、まずは自分が満たされていなければならないんです。

幼少期から”愛情を持って育てられた”なら、サイコパスにはならないとよく聞きますが、それはこの”満たされているから、受け入れられる”という状態を作っていたということです。

 

 

幼い頃からゲームばかりしていた私を、母は受け入れずゲームを隠したことがありました。

今となっては、これが愛情から来るものだと理解は出来ますが、当時の私は満たされていなかったと思います。

こういう面も含めて、満たされた環境を作ることが出来るかどうかで、今後の社会的犯罪行為を止めることが出来るのかもしれませんね。

 

 


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