チャールズ・マンソン③:悪魔のミュージシャンは如何にして集団洗脳の達人となりえたか。
- 2019.04.13
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
さてさて、「ヘルター・スケルター」の始まりとは。
チャールズ・マンソン

(1934年11月12日~2017年11月19日)
アメリカのカルト教団の指導者
8月、世界の終わり
1969年8月9日、シエロ・ドライブ10050番地に彼女と住んでいた歌手のテリー・メルチャーは、マンソン・ファミリーの四人がこの家に向かっていることを知りませんでした。
襲撃の参加者は
テックス・ワトソン
スーザン・アトキンス
リンダ・カサビアン
パトリシア・クレンウィンケル
真夜中、ワトソンはゲート近くの電柱を上り電話線を切断し、警報機を警戒しつつ敷地内に侵入します。
しかし、ヘッドライトが接近してきたため、女性たちには茂みに隠れているよう命じて銃でけん制しつつ車を止めます。
車から降りてきた18歳の学生スティーブン・ペアレントに対し、ワトソンは

ナイフで鋭い一線
スティーブンは防御創を手のひらに付けつつ、ワトソンに許しを請いますが、残念ながらその望みは叶わず、腹部と胸部に計四発の弾丸を叩き込まれました。
ワトソンは、女性達に車を私道へ引き込むよう命じたのちに室内に侵入。

室内にいた6名を惨殺しました。
実はこの家はメルチャーの家だったんですが、事件の少し前から映画プロデューサーのロマン・ボランスキーが借りており、メルチャーはここにはいませんでした。
この犯行自体は、メルチャーがマンソンの音楽をメジャーデビューさせられなかった為に行われた逆恨みの犯行であったとされていますが、マンソン自身はこの家にすでにメルチャーが居ない事を知っていたという証拠も残っており、メルチャーへの見せしめだった可能性があります。

惨殺された6名には、有名女優で妊娠中の26歳シャロン・テートも含まれており、彼女の遺体には
計16回の刺し傷が残されていました。
「子供だけでも助けて」と懇願しましたが願いは通じず、スーザン・アトキンスの手で腹部を含めた全身をズタズタにされました。

旦那であったポランスキーは、生まれることなく死んだわが子に、テートと自分の父の名をとってポール・リチャードと名づけて、テートと共に埋葬しました。
襲撃犯たちは、テートの遺体からできた血だまりの中に「pig」というサインを残し、丘の上で武器を捨て、血まみれの服を着替えて牧場に帰りました。
襲撃の翌日

有名女優が惨殺事件に巻き込まれたというスキャンダルで、一時全米が大騒ぎになります。テートの存在により事件は爆発的に知られるようになり、生前のテートが出演した映画は、皮肉なことに初回の観客動員数を大幅に超える結果となります。
警察は、被害者の交友関係から犯人を洗い出そうとしますが、残念なことに捜査は思うように進みません。
しかし、この事件の翌日には、事業家のレノ・ラ・ビアンカと妻のローズマリー・ラ・ビアンカが非常に似た方法で殺害されているのが発見されます。
夫のレノは計12回の刺し傷が残されており、腹部には「WAR」という文字が彫られていました。
妻のローズマリーには、ワトソンの命令により背中、臀部を約16回刺されて殺されました。
しかも、執拗な攻撃は死後も続き、総数41回の刺し傷が残されていたそうです。

ワトソンが銃剣を掃除しシャワーを浴びている間に、クレンウィンケルは壁に「Rise」と「Death to pigs」の文字を書き、冷蔵庫のドアには「ヘルター・スケルター」と書き残しました。

この殺人現場は犯行から約19時間後にラ・ビアンカ家の友人により発見されました。
1969年8月16日、保安官達はSpahn Ranchを襲撃し、マンソン以下25名を「車両窃盗組織の容疑」で逮捕します。
もちろん大量の武器が押収されました。しかし証拠不十分であったため、数日後にメンバーは釈放されてしまいます。
ここではファミリーと事件をつなげる手がかりはありませんでした。
捜査の進展
ラビアンカ事件の調査チームとテート事件の調査チームは別々に捜査を進めてゆき、8月末の報道ではラ・ビアンカ家の血文字と”ビートルズのアルバム”に関連性があると指摘します。
またラビアンカチームは、10月中旬に犯行に共通点が見られる”ヒンマン事件”に目を付けます。
ヒンマン殺しに関与したとして逮捕されていたボーソレイユの恋人、キティー・ルートシンガーが警察に保護されたことで、初めて警察は「ファミリー」と事件の関連性を認めました。
芋づる式で逮捕されていくマンソンとそのファミリー。マンソン本人は、自身の信者達に殺人を教唆したことによる共謀罪を宣告され、仲間達が犯した犯罪もあってメンバーそれぞれが共謀罪となり、連帯責任で有罪判決を受けます。

カリフォルニア州の最高裁判所で、1972年にはマンソンに対する死刑が宣告されますが、当時のカリフォルニアでは死刑制度は一時的に廃止されており、自動的に終身刑に落とされます。
実行犯であった女性信者たちは全員が終身刑となり、今でもたびたび仮釈放申請が出されており、たまに世間を賑わせているようです。

マンソンが信者を集めた手口として有名なのは、信者達へ与えたLSDで超自然的世界を案内するアドバイザーとして活動していたことが主な点だといわれています。
いわばヒッピー界のシャーマンとして、未知の精神領域へ少女達を連れて行き、巧みに自身の世界へ洗脳していったというのが真相。
男性も、マンソンに心酔した女性を使って誘惑することで、ヒッピー特有の自然回帰やフリーセックスを売りに信者へ引き込んだようでした。
2017年1月1日、マンソンは胃腸出血により刑務所から病院へ緊急入院。1月6日には刑務所へ戻りましたが、治療の内容は明かされていません。
2017年11月19日、83歳でカリフォルニア州ベーカーズフィールドの病院で亡くなりました。死因は今でも伏せられています。
音楽業界の汚点として悪のイメージを一心に浴びたマンソンでしたが、彼の精神性はどこまでも神に近いものであったと未だに信じている人も大勢います。
もしよろしければ、以下の動画をご覧ください。
記者の「あなたは何者ですか?」という質問に対するマンソンのリアクションは、私の心に得も言われる感覚を呼び起こします。
「Nobady」
だれでもない
その答えの意味する所は、あなたの中に既にあるかもしれません。
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