ナサニエル・バー・ジョナ:警官コスプレの恐ろしさは、コイツを見てから語って貰おう。
- 2019.04.21
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
ホームパーティーっていいな~。
自宅に人を招いて、旨いもの食べて酒を飲み、楽しく談笑したり一緒に映画見たり、たま~にやりたくなるんです。
汚部屋に住んでいる私も、その日はここぞとばかりに大掃除をかまし、来客が来るまでの間に色々とセッティングを整えたりします。特にあの”遠足の前日感”が大好きです。
今回ご紹介するサイコパスも、”おもてなし”の心満載な素晴らしいサイコパスです。
というわけで、今日はコイツ
ナサニエル・バー・ジョナ

(1957年2月15日~2008年4月13日)
ホームパーティー

ジョナのアパートで開かれるパーティーは、見たとおり大食漢でグルメなジョナに相応しく、毎度毎度沢山の料理であふれかえります。
ハンバーガーにチリビーンズ、ミートパイやパスタなどの料理を一人で提供するのは大変でしょうが、ジョナは隣人を呼んで楽しいパーティーを繰り広げていました。
「お招きありがとうジョナ、今日の料理の味は独特だね」
「あぁ、こないだ鹿狩りに行ってね。今日の料理は全部鹿肉で出来てるのさ」
「あぁ、ジビエってヤツか。オシャレだな」
ガレージの床下に眠る骨は、パーティーの間誰にも見つかることはありませんでした。
幼少期

1957年4月にマサチューセッツ州ウスターで生まれたジョナは、ごく普通の一般家庭に生まれます。金持ちではありませんでしたが、父には仕事があり母は家庭を守り、それなりに幸せな家庭環境と言えるでしょう。
ジョナには悪癖がありました。
6歳の頃から、転んだキズなどに出来る生乾きのカサブタを無理やり引き剥がし、その傷口から血を吸い出すというものです。
小学校の先生から、「彼のクセを見て周りの生徒も動揺している」と母親に何度も電話が掛かってきました。

1964年7月下旬、7歳のジョナは隣に住む5歳の少女に対して、「誕生日に両親に買ってもらった”ウィジャ盤”(アメリカ版コックリさん)をやろう」と自宅の薄暗い地下室へ誘いました。
無邪気な息子の様子に、母も安心して家事でもしていたのでしょうか。
しかし聞こえてきたのは、少女の悲鳴。
急いで地下に駆け下りた母親の目に映るのは
ジョナが少女を絞め殺そうとする姿
急いで止めに入りましたが、この頃から母親はジョナに対して注意深くなりました。

12歳の頃には、別の隣人であった6歳の少年を近くの丘に連れ出し、「ソリで遊ぼう」と持ちかけますが、丘で行われたのはソリすべりではなく
小児レイプ
ジョナの性欲は、幼少期から止め処なく溢れだしており、その他余罪も多数ありました。
犯行の露見
1975年3月下旬、学校に行く途中だった8歳のリチャード・オコナーは、警察官に止められます。
「君のお母さんが大変なんだ、すぐに来てくれ」

実はこの警官、ジョナ
拉致に成功したジョナは、少年の首を締め上げてレイプに興じます。
少年の姿が見えなくなったことを受け警察が捜査を開始したところ、その様子を見ていた人物からの通知により、拉致に使用された車が大きなパーキングエリアの隅に人目につかないよう停められているのを発見。
車から降りるようにジョナに命じ車内を確認したところ、血や排泄物にまみれた死に掛けのオコナーが横たわっていました。

実は高校卒業の数日前にも、再び警官コスプレで9歳の少女を誘拐。
首絞めレイプの最中に嘔吐と痙攣が止まらなくなった少女は、車を歩道に寄せた後に投げ出されました。
この事件にも目撃者がおり、ジョナの車のナンバープレートを警察に通報していたことが、先の事件からオコナーを救い出す要因のひとつになったようです。
保護観察を受けることになったジョナでしたが、1977年9月24日にまたもや誘拐を企てます。

今度はFBIの秘密捜査官として、映画館から出てきた二人の少年を車に乗るよう命じ、人里離れた場所へ運び込むと
一人を車のトランクに積め込み、もう一人に手錠をかけてもてあそび始めました。
ジョナは少年の胸の上を繰り返しジャンプ。
170キロもあるジョナの破壊力では、少年が動かなくなるのも当然です。
少年を殺してしまったと思ったジョナは、もう一人の少年も放り出してその場から走り去りました。
しかし、少年が意識を取り戻して助けを呼ぶことに成功。
まもなくジョナは逮捕されました。
この犯行で、殺人未遂の有罪判決を受け、同刑で最高の18~20年の懲役を受けることになります。

ぶっちゃけ逮捕遅すぎん?
服役中の精神
服役中、ジョナはブリッジウォーター州立病院に収監されることになり、精神治療を受けることになりました。
しかし、精神科医は「彼の性的幻想は、拷問や解剖、そしてカニバリズムにまでおよぶ」
「人肉の味に対する強い好奇心を見せた」
と述べており、牢屋の中ではカサブタをはがしては血を吸っていました。

1991年8月9日、ジョナは7歳の男の子が郵便局の近くに止まる車で、一人座っているのを見ると
100キロまで落とした身体で車に乗り込み、少年の上に座って
全体重を押し付けました。
これ、出所からたった一ヵ月後のことです。

少年の母親と他の目撃者が大声で叫びだしたことでジョナは逃走。しかし、すぐに逮捕されました。
この件に関しジョナは当初、雨を逃れるために車に乗ったと主張していますが、後に少年を殺すつもりだったと認め、保護観察を宣告されます。
人の車で雨宿りとか言って罪を免れると思っているジョナも、保護観察程度で収めてしまう司法もバカ丸出しですが、この選択は大きな誤りであったことが分かるのは、5年という長い期間の後でした。
ザック・ラムジーの消失

1996年2月6日、通学中であった10歳のザック・ラムジーが行方不明になります。
目撃者の証言では、通学中に巨漢の男に話しかけられており、その男は”警察らしきジャケット”を着ていたと報告されています。
ラムジーが路地に入ったときには、巨漢の男はまだ2人が話しをしていたゴミ捨て場のそばに立っていたと証言していますが、この路地に入った時点でラムジーの消息は分からなくなりました。

1999年に非番の警官が、学校周辺でスタンガンと唐辛子スプレーを持つジョナを見かけて逮捕するまでの3年間、ラムジーの行方が明らかになることはありませんでした。
ラムジーに関する捜査により、ジョナに疑惑の目が寄せられます。
1996年2月6日にジョナのアリバイはどこにもなく、ジョナのアパートを家宅捜索することになりました。
家から出てきたのは、スタンガン、警察バッチ、唐辛子スプレー、モデルガン
そして、複数のノートでした。

そこに掛かれてあったのは
「リトルボーイ・パイ」
「リトルボーイ・シチュー」
「ロースト・キッド」
ラムジー少年失踪事件のスクラップブックや日記も押収されており、日記にはこれまでジョナが犯した犯行についても細かく書かれていました。
日記には「今日の午後、ロースト・キッドで友人とバーベキュー」などと目を疑う書き込みに、警官はどんなリアクションを取ったんでしょうか。
どうやら目を付けた少年少女のリストを作成し、ストーキングで行動を把握した後に警官として言葉巧みに誘拐するのが彼の手口のようです。

ほとんど犯行を確信していた刑事により、ガレージの床下から大量の子供の骨が発見され、ジョナは逮捕されました。
裁判で犯行を認め、130年の実刑判決を受けたジョナは、2008年4月13日の朝に独房で冷たくなるまでずっと無罪を主張していたそうです。
死後の調査により、ジョナの身体はLDLコレステロール値が以上に高く、心臓発作で亡くなったことが明らかになります。
補足

彼自身は、狩猟免許もライフル銃も持っておらず、鹿狩りに行くことなど不可能でした。
その上、ラムジーが行方不明になった頃の彼の通帳からは、大量の食材を買い込んだような形跡は一切見られませんでした。
ジョナのアパートに置いてあったミンサー(ひき肉を作る道具)から髪の毛が発見されていますが、ラムジーのDNAとは一致しませんでした。実はガレージから見つかった遺体の中からも、ラムジーのDNAを持つ骨は
発見されていません。
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