マーサ・ベックとレイモンド・フェルナンデス①:偽りから始まる2人のラブストーリー
- 2019.06.17
- サイコパス名鑑

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でお馴染み、ガンダルフと申します。
きましたね。
ザ・夏が。

月並みな言葉ですが
青い空、白い雲、まぶしい太陽!
という言葉を聞くたびに
・・・いや海は?
と思っています。
とはいえ現在は梅雨の真っ最中。
6月初旬にはうだるような暑さの日もありましたが、ここのところはそれほど気温も高くなく比較的過ごしやすい日々を送っています。
さて本日は久々のサイコパス記事。
夏よりも熱い燃え盛るような愛をテーマにした”殺人カップル”の物語。
レイモンド・フェルナンデス

( 1914~1951 )
マーサ・ベック

( 1920~1951 )
幼少期

レイモンドは、1914年12月17日にスペイン系の両親がハワイで生んだ男の子。3歳の頃にアメリカのコネチカット州ブリッジポートに引越し、家族で小さな農場を経営していたそうです。
18歳の頃にはスペインへ移住し、叔父の農場に住み込みで働いていましたが、20歳の頃にエンカルナシオ・ロブレスという女性と結婚。地元に家を立て、村でもいい青年だったようです。
第二次大戦が始まった際、レイモンドは商人の護衛部隊として戦争に参加。しかしすぐにイギリス政府へのスパイ活動が露見して、悪評がつくことになりました。
戦争終結後、1945年後半にアメリカへ移り、妻と産まれたばかりの息子に仕送りをすることにしました。
なんとかアメリカの近くまで向かう貨物船に乗船することに成功しましたが、なんと乗船中に

甲板デッキに上がろうとした際に、スチール製のハッチカバーが頭上に落下。
頭蓋骨が激しくへこむほどの衝撃で、12月に船が目的地に到着してから翌年3月まで病院へ。
これが、彼の人生を運命付けたようです。
退院後の彼は、以前の礼儀正しく社交的な側面を完全に失っており

浜田 雅功より遥かにキレやすい男に。
笑顔が絶え、時々会話中に脈絡も無く暴れだしました。
頭部外傷を起因とした人格障害は当時から有名でしたが、ハッチのぶつかった前頭葉は、学習・推論・論理性の調整を行っている重要な部分だったと後に医師が語っています。
そして彼はアラバマに向かう別の船に乗り込みました。
しかし船が港へ到着した際なぜか

大量の衣服や道具を船倉から盗み出しました。
もちろん税関で即逮捕。
盗難の理由を尋ねられたとき
「俺は何も考えられない。なんでこんなことしたのか分からない。」
「丁度他の男がバッグにタオルを1,2枚入れてたから、俺もやった。」
と証言しています。

フロリダはタラハシーにある連邦刑務所で一年の刑を宣告され、入所中にはハイチ人と友達になりました。
この男、古代の宗教Vodun教の信奉者。
ブードゥー教を起源とする、女性に対して魔法のような力を与えてくれる宗教だと語ります。

レイモンド、コレにドハマリ。
彼自身、霊から神秘的な力を与えられた司祭になったと信じていました。「封筒にブードゥーの秘密の粉を入れて手紙を送ると、遠くからでも女性と恋をすることが出来る。」と友人に語っています。
1946年、刑務所から開放されたレイモンドは、姉と共に暮らすためブルックリンへ引っ越します。姉は事故にあったレイモンドを見て驚きます。
豊かだった髪は禿げ上がり、キズが見えていました。時に何日も自室に閉じこもり割れるような頭痛を訴えました。

この間、彼は「Lonely Heart」というクラブを通じて何十通もの手紙を書きました。
手紙を通じてやってくるのは
男を捜す騙されやすい女性。
「孤独な心」という名に偽りなく、癒しを求める人々が集まるクラブで、彼は甘い言葉で女性を誘惑。
信頼を得た後はもちろん

金、宝石、小切手を盗み出し永遠に消える。
いわば結婚詐欺師になりました。
ジェーンとの出会い

何ヶ月もの間クラブで女性に手紙を書き、1947年に最近夫と別れたジェーン・トンプソンという女性とやり取りを始め、長い間手紙で愛を語ってくれるレイモンドと実際に会って見る事にしました。

1947年10月に、ジェーンのお金でクルーズ船のチケットを購入し、スペイン旅行へ。数週間共に旅行し、夫婦としてホテルを予約。
・・・しかし、考えても見てください。
スペインっつったら奥さんと息子の居る国ですよ。
そんなところで不貞を働いて、この男はどうしようもねぇな。
と思っていたら、事態は急展開。

何を思ったかレイモンド、妻と子供の下へ”彼女”を連れて帰りました。
しかも何度か一緒に街で食事してます。
理解に苦しみますが、なんか上手くいっているように見えました。
しかし1947年11月8日、ホテルの一室でジェーンが原因不明の変死体となって発見されます。
現在でも犯人は不明、しかも検死解剖を行われずにそのまま埋葬されました。
レイモンドはというと、埋葬後すぐに街を飛び出してアメリカへ出発。妻をまた置き去りにして何をするかと思えば

ジェーンの住んでいたニューヨークのアパートに、ジェーンの遺言(偽装)を手に突如出没。
ジェーンの母親がそこに住んでいるにもかかわらず、彼はアパートと家具を丸ごと手に入れました。
こんな凄まじい数週間を過ごしながらも、裏では何十人もの女性と手紙のやりとりを続けています。

そのうちの一人が、マーサ・ベックでした。
看護師マーサ・ベック
ペンサコーラ病院で看護師として生活していたマーサ。仕事も速くて丁寧。他の看護師全員を監督する婦長さんでした。
しかし仕事に追われる毎日で、彼女の生活にはまるっきりロマンス分が不足していました。
彼女自身Mother Dineneというクラブで最初の手紙は書いてみたものの、待てど暮らせど返事は届きませんでした。毎日のように郵便受けを眺めてはため息をつく日々は、孤独感をより深めたでしょう。
しかし1947年のクリスマス前日に、彼女の人生で「最初で最後のラブレター」が届きました。

手紙はニューヨークのウエスト139番通りに住むレイモンド・フェルナンデスさんからのものでした。
彼はどうやら貿易商として成功したビジネスマンのようです。
丁寧に書かれた手紙から漂う誠実そうな彼は、ビジネスチャンスのためにアメリカへやって来たスペイン人だと書いてありました。

マーサは寝るときも、仕事中も、どこへ行っても手紙を持っていき、あらゆる機会に手紙を読み返しました。
すぐに高価な文房具を買ってきて、レイモンドへ手紙と写真を送ります・・・が。

彼女にとってその”ぽっちゃり体系”はコンプレックス。
レイモンドはそんなことを恐れない寛大な男性であって欲しいと望みながらも、病院で取った看護師全員の集合写真を送りました。
列の後ろに隠れているので「これなら・・・」と考えたようですが、彼女自身手紙の中に「it doesn’t do me justice. (貴方の写真と比べて公平じゃないけど…)」と残しています。
さてさて今度はレイモンド側。
レイモンドにとって彼女が太っていようが不細工だろうが、そんなことはどうでもいいのよ。マジで。

大事なことは”お金を持っているか”
手紙からマーサが看護師であると知ったときには、すでに頭の中で電卓が叩かれていました。
彼自身のモテモテテクニックとして、手紙に加えて1,2回の電話で関係を構築する必要がありました。これによりターゲットとの信頼を築き、ある程度性的期待を持たせなければなりません。
手紙で数回やり取りを重ねた後、電話にてフェルナンデスの必殺技が繰り出されます。

秘儀「君の髪束をくれないか」!!!
マーサは、「男性が私の髪の毛を頼むなんて!!」と今まで無かった経験に大喜び。髪を切り、それに大量の香水を降りかけて送りました。
日本でも大事な人の髪をお守りにする風習がありましたし、なんらおかしなことではありません。
おかしいのはレイモンドの頭です。

彼が髪を送ってもらったのはブードゥー教の儀式に使用するため。
この秘術がマーサが彼の性的魅力に抵抗できなくするとガチで信じていたようです。
この儀式が終わった後、レイモンドは彼女に実際に会う時が来たと考えました。
「フロリダまで電車で向かうよ。駅で落ち合おう。」
マーサ自身も、自分の姿をぼかして伝えていることに恐れを抱きましたが、彼女の好奇心と欲求は恐れに打ち勝ちました。
1947年12月28日、運命の2人が出会おうとしていました。
つづく。
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