ディーン・コール②:甘い誘惑に打ち勝てなかった悲しい男。通称キャンディーマン
- 2019.10.25
- 雑記

どーも皆さんこんばんわ
ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。
2019年のハロウィンが10月31日ということで久々にブログを書いております。
私の中で「ハロウィンと言えば?」と聞かれた際は、迷わずコチラをおススメしております。
このハイセンスな遊びっぷりに、私の魂も
「やりたい」
と叫びたがっています。
でも股間のモッコリを周囲の視線に晒す勇気があったら、こんなところでブログなんて書いてません。
ついでに私の主戦場はこちらですので、もしよろしければご視聴いただきたいと思います。(宣伝)
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さて続きを。
Corll Candy Company

兵役を終了して新会社の副社長としての道を再び歩み始めたディーン。
彼はヒューストンのハイツ地区にあるヘルムス小学校近くの西22番街にある会社のすぐ近くにアパートを借り、大々的にコマーシャルキャンペーンを打ち出しました。
小学校の近くに住んでいる点を利用し、地元の子供たちに無料でキャンディーを配りまくるというものです。
キャンディーを山のように抱えてやってくるのを見て少年少女が蟻のように群がる姿を、街の人は「キャンディーマンがやってきた」と言ってたそうです。
ほとんどの子供たちはこの誘惑に抵抗できませんでした。
その頃母は、商船に乗る船乗りとお付き合いの真っ最中。
力強く浅黒い肌にほれ込んだようでして、会社経営に関しては全く興味が無く性格に難があることには目を伏せて、3度目の結婚をしました。

結果、キャンディー会社潰れました。
凹みきった母は、別のキャンディー会社を経営するためにコロラド州ダラスに移り住むことにします。
しかし、ディーンはヒューストンにとどまることにします。
彼がキャンディーを配り歩いていた理由は、本当は会社のマーケティングなどではありません。
その証拠に、街の少年たちの信頼を集めるためにキャンディーショップの裏手には、従業員と地元の少年が遊べるようビリヤード台まで設置していました。
1967年には十代の少年達と街を歩く姿がよく目撃されています。
既に”悪の努力”が結実しようとしているところだったのです。
それに加えて、保護者の母は遠いコロラドの町へ行くとなったら
街を離れるわけにはいきませんでした。
デビッドとウェイン
ディーンの周囲に集まる若者達は、言わゆるドロップアウト組でした。
ディーンが最も親しくしていた特筆すべき若者は2人。
デビッド・ブルックスとウェイン・ヘンリーです。

デビッドは1955年テキサス州ボーモンドで生まれ、わずか5歳の頃に両親は離婚。
小学校では優秀な成績を残しましたが、中学に入って突如成績は急落。
ちょうどこの頃、ディーンと関わるようになったのが理由のようです。
ディーンへの信頼はとても厚く、自由時間のすべてをディーンと共に遊べるように入ったばかりの高校を中退するほどでした。

ウェインは、家庭崩壊した家に生まれたアルコール中毒の十代。
母と3人の兄弟を経済的に支えるため、一日中働いていたせいで十分な教育が受けられず、軍隊に入隊しようとした時も”中学校を中退”という学歴から拒否されています。
デビッドは母と暮らすために85マイルも離れたボーモントに移住していましたが、ヒューストンの父親を訪問するたびにディーンと接していました。
ディーンは「もしよかったら家に来るか?」と優しく問います。
それをきっかけに3人は頻繁に一緒になって、ディーンの家に泊まり、バンに乗っていろいろなところへ遊びに行くようになりました。
三十路の男と十代の少年二人といういびつなトリオで街を歩く姿は、他の人にも不思議に見えたことでしょう。
そしてとうとうディーンは、

世の中の一部の少年はお小遣いを得るために”オーラルセックス”を許可する
という衝撃の事実に至るのです。
最初の犠牲
1969年のクリスマス、ディーンは30歳になりました。
彼は自分の人生に対し絶望していたようで、以前にもまして内向的になったといわれています。
デビッドは彼を元気づけようとしますが、多くの場合その結果は5ドルを支払ってフェラチオという”14歳の男娼”として利用する形で終わります。
しかしデビッドを直接的にレイプすることを、ディーンはしませんでした。
そんな関係が続く中、テキサス大学の学生だったジェフリー・コネンが行方不明になります。

ヒューストンへのヒッチハイクを始めた21歳のジェフリーは、1970年9月25日にウェストヒューストンのアップタウン地区にて車を降りた所を最後に消息を絶ちました。
両親の家に向かっていたというジェフリーを、ディーンが車に乗せた可能性を指摘されていますが、はっきりとしたことはわかっていません。
当時ヨークタウンにアパートを持っていたディーンは、そこでジェフリーに猿ぐつわを噛ませ、手足を縛りあげて完全な支配を行いました。
コールはどうやらフェラチオだけでは満足していなかったのでしょうか。
犠牲者をレイプした挙句に、拷問を行いたいと思っていたようです。
のちにハイアイランドのビーチに埋葬されていた彼の遺体は、凄惨な姿でした。
こうして殺人によって己の欲望を満たせることを知ったディーンは、ここから”シリアルキラー”としての活動を開始することになったのです。
コネンが21歳だったのを除くと、犠牲者の大半は10代半ばであり、ほとんどがヒューストン・ハイツから誘拐されていました。
当時のヒューストン・ハイツはいわゆるダウンタウン。
政治や権力に興味を持つより、その日を生きることにより多くの力を注ぐ人々の集落には、行動の足跡を辿られづらいという利点があります。

中でも15歳だったホーマー・ガルシアは、自動車学校のクラスでヘンリーと出会ったことでコールが主催する”パーティー”に招待されました。
ディーンはヘンリーのその行いに対して、謝礼金を支払っています。
ヘンリーはいわゆる「かどわかし屋」としてディーンの悪行を手助けする形で関係を構築しています。
行方不明になった少年達の親は、最後に息子がどこに行ったのかが分からないと警察に告げるため、警察は多くの事件を”失踪”として取り扱いました。
デビッドは後になって、ディーンの気まぐれで生死を操られるさまざまな犠牲者について証言していますが、1970年にディーンのアパートへ遊びに行った際に不思議な光景を見たと証言しています。
家の周りを裸で歩くディーン。

寝室には、お手製の拷問ラックに縛り付けられた少年。
混乱しアパートを去るデビッドに対し、後に”新車のシボレーコルベット”を買い与えるディーン。
これにより彼の沈黙を買ったのでした。
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