ディーン・コール③:甘い誘惑に打ち勝てなかった悲しい男。通称キャンディーマン

ディーン・コール③:甘い誘惑に打ち勝てなかった悲しい男。通称キャンディーマン
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

いや~ね。

ディーン・コールについて書き始めて早5日。

ドラクエ11を初めて早6日。

既にラスボスの部屋直前まで来ております。

 

今思うに、昔のドラクエはもっと長かったのように感じました。

よく考えると、新しいフィールドへ行けるようになると

「あ!そういえば、あそこに鍵の扉があった!」とか

「何!?海の”中”にもフィールドがあるだと…!?」とか

「いや、空飛べるようになったらもう終わりやろ」からの”神界登場”とか。

 

未知に対してのワクワクドキドキを、貪欲に追い求めていた少年時代が思い返されます。

ダーマ神殿の奥には隠しダンジョンがあって欲しかったし、ロザリーが死んだ後には救いがあると思って探し回ったし、マーサとパパスは甦らせたかったし。

結婚相手はどう考えてもビアンカだし。

 

 

家に帰ると真っ先にカセットの端子部分をフーフーしてたもんですが、残念なことにこの歳になっても

 

ドラクエ終わらせんと他のことに全然手が付かない”呪い”は健在でした。

 

マジでさ、もうDS開いたら電池切れるまでレベル上げしてんのよ。

飯食うのも忘れて、仲間を救い出そうと世界中を歩き回るのよ。

マジで今回のドラクエ11は、クリアするまで他の事出来ない。

ワシ32歳ぞ?

32ぞ?

よき大人ぞ?

 

このブログ書いてる今も、魔王の部屋に飛び込みたい欲求と戦っています

 

欲というのは無限に湧き出す”生きる希望”でもあり、己の視界を狭めてしまう”諸刃の剣”でもあるんですね~。

 

ディーン・コールの闇も、”欲”を制御出来なかったからこそ生まれてしまったのかもしれませんね。

ディーン・コール

英名:Dean Arnold Corll

アメリカのシリアルキラー

通称:キャンディマン

ディーンの手口

犠牲者は通常、あらゆる場面でパーティーへ誘われディーンの家を訪れます。

パーティーでは酒や薬物を渡され、フラフラのところで手錠を掛けられるか強引に抑え込まれます。

裸にひん剥かれた後は、例の拷問板に縛り付けられて、激しいレイプや拷問を受けたのちに.22口径のピストルで頭をぶち抜かれるか絞殺されます。

 

遺体はブルーシートでグルグル巻きにされた後、以下の四か所に埋葬されました。

 

 

 

・ハイアイランドのビーチ

・ボリバル半島のビーチ付近

・サムレイバーン湖近くの森林

・ジェファーソン郡のビーチ

 

サムレイバーン湖には親類が所有している丸太小屋があったので、そこをキャンプに森の奥まで入り込むのですが、他の遺体がビーチに埋葬された理由は、ビーチ近くにあるボート小屋自体を”墓場”にしていたからです。

 

 

両親からしばしばやってくる連絡にも普通に受け答えし、時に遺体の埋葬等で不在だった時には”不在の理由”を手紙に書いて送ったり。

最初の殺人を起こしてから、ディーンはよく住所を変えています。

しかし、1973年のパサデナに移るまでは基本的にヒューストンの近くに住んでいました。

 

 

 

 

デビッド・ブルックスの暗躍

1970年12月15日、デビッドはヒューストン・ハイツの近くで行われていた宗教集会から14歳の少年を二人、アパートへ誘い込みました。

一人はデビッドの知り合いであり、その頃には”コールが拷問好き”であることを知っていました。

にも拘わらず、少年二人はコールのアパートで無残にもレイプ後に絞殺されました。

 

この行為に対してデビッドに支払われた額は、たったの200ドルだそうです。

 

 

 

Donald Waldrop, 15.
Jerry Lynn Waldrop, 13.

少年二人殺害の6週間後、1971年1月30日にはボーリング場へと向かっていた10代の兄弟をバンに誘い、引っ越したばかりのマンガムロードのアパートへと連れ込みます。

その後も1971年3月から5月にかけて、13歳から16歳の少年3人を連れ込んでは埋葬、連れ込んでは埋葬とさながら遺体工場の如く活動します。

 

この3人のうち、デビッド・ヒリギエストとマリー・ウィンクルの二人は1971年5月29日の午後に誘拐され、一緒に殺害されたことが分かっています。

彼らの両親は、他の犠牲者の両親と同様に必死の捜査を行いました。

自発的に行方不明のポスターを配布することにした両親は、ヒリギエストの親友であった少年と協力して、町中にポスターを貼ります。

この親友、なんとウェイン・ヘンリーその人でした。

 

 

 

これまではデビッドとディーンの二名で”共犯関係”を続けていました。

その後も17歳のルーベン・ワトソンを1971年8月17日に殺害していますが、その事件から三、四か月後にデビッドの紹介でウェイン・ヘンリーはアパートを訪れました。

 

彼は最初、”いつもの犠牲者”と同様の道を辿るはずでした。

しかし、何を思ったのかディーンは彼が「よい共犯者になる」と思い、同年代の少年をアパートに誘い込むたびに200ドル支払うという”悪の契約”をかわすことにするのです。

 

最初の契約執行は1972年2月、ディーンが引っ越してすぐでした。

「自由にマリファナが吸える家がある」という誘い文句で少年を誘い出しました。

この犠牲者は身元を判明するための決定的証拠はありませんでしたが、デビッドとウェインの知り合い(偶然)であったと考えられています。

 

ウェインは貧乏な家庭環境もあったそうですし、その後バシバシ仕事に邁進します。

後にコールが拷問している姿をハッキリと目撃しますが、コールの説得により拷問していた少年を埋葬する際にも、ディーンとデビッドを手伝っています。

 

 

 

遺体工場へ原材料を納入することに対し、躊躇はなかったのでしょうか。結局その活動をきっかけに、ここからは殺害に対しても協力的になりました。

 

6月26日行われた事件では、ビリー・パウチとジョニー・デローンの二名を同時に誘拐。ベッドに縛り付けられた二人をコールが弄び終えてから、ウェインはパウチを絞め殺した直後に「Hey! ジョニー!!」と遺体を見せつけた後、デローンの額に弾丸を打ち込んだそうです。

 

もともとのサディスティックな一面が、ディーンという怪物と出会って登場してしまったようです。