ディーン・コール④:甘い誘惑に打ち勝てなかった悲しい男。通称キャンディーマン

ディーン・コール④:甘い誘惑に打ち勝てなかった悲しい男。通称キャンディーマン
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どーも皆さんこんばんわ

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

友人からSEKIROを借りて、ワクワクが収まりません。

 

ゲーム探偵とはいえよ?謎ばっか解いてても疲れるじゃんか~。

日常に差す一筋の安らぎを求めてゲームをすることだってありますよ。

 

ですが私、映画や小説などにも言えることなんですが、多くの場合

”発売日付近に買わない”

という謎の病気に蝕まれております。

 

なんでかね~。わからん。

”ちまたの話題”に乗れるという選択肢を全て捨て去ってまで己の道を突き進むのは、「中古で買えば割安で手に入る」からでしょうか。

それとも絡む友達がいないからでしょうか。

 

 

ってやかましいわ!!!

 

…ッハイ!今日もビシッと決まったところで続きに行きましょう。

 

 

ディーン・コール

英名:Dean Arnold Corll

アメリカのシリアルキラー

通称:キャンディマン

 

 

ディーン、31歳への階段

 

1970年9月から1973年8月までに、ディーンは判明しているだけで22件の殺人事件を起こしています。

彼の”少年に対する興味”は凄まじいものがあり、拷問台に縛り付けた後は

陰毛全てを一本ずつ抜き取る

抵抗ができない少年の尿道にガラス棒を突っ込んで、中で叩き割る

切り取ったペニスを直腸に突っ込む

 

といった鬼の所業をやってのけます。

犠牲者には、母親のキャンディー会社で働いていた元従業員が2名含まれていたり、相棒のデビッドやウェインの友人すら含まれていました。

そもそも、ディーンの元に友人を連れてきたデビッドやウェインも、すでに共感性に欠けるサイコパス特有の側面をまざまざと見せつけてくれます。

 

こんなやっべぇ3人組にも衝撃のニュースが訪れました。

1973年7月、デビッドが出来ちゃった婚

そもそもお金のためにディーンと関係を持っていただけでノンケだったデビッドは、彼女を妊娠させたことによりチームから離れることになります。

ウェインと二人になってしまったディーンでしたが、犯行は止まることなくその後3人の拉致レイプに成功しました。

 

 

 

「デビッドがいなくても問題ない」

そうウェインが増長するのも時間の問題だったようです。

 

関係の崩壊

 

1973年8月7日の夕方、17歳だったウェインは19歳のティモシー・カーリーという若者をコールが住むパサデナの家で行われるパーティーに招待強いました。

デビッドは当時チームを離れていたため、ウェインとカーリーは2人でコールの家に向かいます。

パーティーの途中、サンドイッチを切らしたためにウェインとカーリーの二人は一度家を出て買い出しへ赴きました。

しかしウェインは途中で、酔った父親に殴られて家出していた15歳のロンダ・ウィリアムズを連れていくことに決めます。

この子はいわゆるウェインの彼女。

泊る所のない彼女にディーンの家で一晩パーティーに参加して夜を明かしてはどうかと持ち掛けます。

彼女は喜んでカーリーのフォルクスワーゲンに乗り込みました。

 

コレで、全てが終わるとはだれ一人考えていなかったようです。

 

 

8月8日の午前三時頃、ヘンリーとカーリーは彼女を連れてディーンの家に戻りました。

しかし、ここでディーンは大激怒。

プライベートな場に女性を連れ込んだことに対して、「お前のせいで全て台無しだ!!」と怒鳴り散らします。

ウェインはロンダが家に帰れないことを説明しつつ怒りをなだめ、ディーンはだんだんと落ち着きを取り戻します。

事情を呑み込んだディーンは3人にビールとマリファナを差し出し、パーティーはその後二時間も続きました。

 

眠っていたことに気が付いたウェインがふと目を覚ますと、手錠と足首を結ばれており手足を封じられたことに気が付きました。

横にはカーリーとロンダが同様に縛られて、粘着テープで口を押えられて床に伏せて横たわっているのを目撃します。

 

 

その恐怖はどれほどだったでしょう。

ゆっくりと近づいてくるディーンは、彼の耳元で女の子を連れてきたことに激怒しているといい、「カーリーを犯して拷問した後にお前たち全員を殺す」と衝撃の主張をしました。

ディーンはロンダの胸を何度も蹴り、ウェインをキッチンに引きずり込みピストルを胃に当てて脅し続けます。

「お願いします、殺さないでください」と懇願するウェインに、ディーンは「ならお前も手伝え」と言い放ちました。

 

他に選択肢は残されておらず、手伝うことを承諾したウェインを見て落ち着きを取り戻したディーンは縄を解き、カーリーとロンダが横たわる部屋へ戻ります。

縛られた二人を寝室へ連れてゆき、拷問台の両側にカーリーとロンダを拘束しました。

その後ディーンは、ウェインに狩猟用ナイフを渡してロンダの服を着るように命令し、「カーリーをレイプして殺すから、お前もロンダに同じようにしろ」と言って自らの服を脱ぎだします。

ロンダの口のテープを剥がし、ウェインが彼女の頭を持ち上げると

「本当に殺すの?」と問いかけられます。

ウェインのYESという答えを聞き、泣き叫び始めるロンダ。

ウェインはそれを見て「別の部屋でやってもいいか?」と尋ねましたが、ディーンがそれを無視する姿を見て、ふと気が付いたことがあります。

 

ディーン、めっちゃ銃を手放してました。

ウェインはとっさに銃を掴んでディーンに向け、「お前にはうんざりだ!!」と叫びました。

ディーンは「お前に撃てるのか!?」と聞きつつ彼に近づきます。

 

しかし立場の逆転したウェインは、躊躇することはありません。

彼の額を一発の鉛玉が抉ってゆきました。

 

力が抜け、ウェインに倒れこんでくるディーンの身体に対し、さらに二発撃ち込み、肩に当たります。

部屋の外にぐらつき、廊下の壁にぶつかってずり落ちるところでもう三発。

コールの裸体は、壁を見ながら動かなくなりました。

 

告白

 

ウェインは縛られた二人を解放し、3人で服を着て今後について話し合います。

逃亡することを提案するウェインでしたが、カーリーは警察を呼ぶべきだと主張。

仕方がなくウェインはこれに同意し、1973年8月8日の午前8時24分にパサデナ警察へ電話をかけました。

 

「早く来てくれ、男を一人殺した」

 

数分後に到着したパサデナ警察は、 傍らにはピストル を置いた十代の若者3人が家の外に座り込んでいるのを見つけます。

通報通り家の中には男の遺体、パトカーに連れ込まれる3人、

少年少女は安堵の顔をしていたでしょう。

ただ一人ウェインを除いて。

 

拘留中にウェインは、自らが遺体の男がレイプするために10代の少年を誘拐するのを手伝っていたと証言しました。

たった200ドルの報酬をもとに数多くの殺人補助を行い、遺体のほとんどはヒューストン南西部の小屋や湖に埋まっていることを明かします。

 

当初は「薬中のガキが語る妄言」だと疑念を抱いていた警察も、証言に出てくる犠牲者の名前と行方不明者リストが一致することに興味を持ち、調査を開始。

 

3人が縛られていた部屋は厚いブルーシートで覆われており、殺害場所として使用されていたことが判明。

他にも大型ナイフ、すごい数のディルド、細いガラス管や手錠などが見つかります。

特に目立つのは奇妙な木箱。

空気穴があけられた大きな木箱には、人間の毛髪が複数人分残っていました。



裏手に駐車していたバンは、後部窓は不透明なカーテンで視界をふさがれており、緊迫用ロープ、土の汚れが付いたベージュの敷物がおかれており、遺体の埋葬用に使われていたことが分かります。

 

 

 

警察はウェインに遺体の埋葬場所へ案内するよう指示し、ディーン所有のボート小屋に埋められた大量の衣服や子供向けおもちゃを発見。

併せて、石灰で出来た層の下にブルーシートで包まれた10代の金髪少年の遺体を掘り出しました。

 

多くは絞殺され、一部は射殺。

その全員が特に下半身に激しい拷問を受けており、中には生きたまま局部を切り落とされていたことが後に判明します。

結局8月8日の夜には、計8名の遺体が発見されました。

 

ちょうどその頃、チームを離れていた デビッド・ブルックスが父親を連れてヒューストン警察署に現れます。

当初は殺人への参加を否定していたデビッドでしたが、後に1970年にディーンが行った2件のレイプ殺人に関わったことを認めます。

 

翌日にはサムレイバーン湖へ調査へ向かい、計11名の遺体を発見。

 

 

8月13日までにほかの場所も含め計28名の犠牲者を発見し、当時のアメリカ史上最悪の殺人事件であるとして公開されました。

そのショッキングさは、当時の教皇パウロ6世でさえも残酷な事件についてコメントし、遺族に同情の意を表しています。

 

逮捕、起訴

8月13日にはハリス郡で審議が行われます。ウェインとデビッド二名による証言と、生き残ったロンダとカーリーを筆頭に、様々な証人より証言を聞き、ウェインは三件の殺人罪で、デビッドは一件の殺人罪で起訴されることになりました。

2人は役割の違いから別々に裁判にかけられます。

 

裁判を通して州は、遺体輸送用のバンを含む計82個の証拠を提出し、1974年7月16日にウェインは6回連続の99年の594年の刑を宣告されました。

これに対しウェインは控訴し、1978年12月に再審が決定。

1979年には再び裁判にかけられ、6月27日にまったく同様の594年の刑を宣告されました。

 

デビッドの裁判は1975年2月27日、一週間もかからずに終了しました。

当初からコールのレイプ殺人に関与していたことが決定だとして挙げられ、1975年3月4日に殺人罪で刑を宣告されました。彼の妻は涙を流していましたが、彼自身は文章を読み上げており感情を表すことはなかったそうです。

 

デビッドとウェインの二名は、共に終身刑に服しています。

残念ながら、デビッドの写真はほとんど残されておりません。

彼らは法律によって3年ごとに、仮釈放の公聴会に出頭することになっていますが、毎回拒否されています。

ウェインは刑務所内で芸術の分野で活動し、花などの非暴力なテーマで絵を描き、e-Bayで販売しています。

ヒューストンではこれに対し抗議の渦を巻き起こしましたが、テキサス州などの「犯罪者が悪評により利益を得ることを防止する」法律が無い場所ではいまだに人気を博しています。