宮崎勤(みやざきつとむ)③:犯行の数が増えると、だいたい皆自己主張を始める。

宮崎勤(みやざきつとむ)③:犯行の数が増えると、だいたい皆自己主張を始める。
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ど~も皆さんこんばんわ。

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

ここの近況報告書かなかったらもっと早く書きあがると思うんだけどな~。

ココが楽しみで読んでくれてる人もいるとコッソリ信じています。

気分がノリノリ(死語)になってる時にはしっかり書くから、今日のところは・・・ね?

 

 

 

宮崎勤 (みやざきつとむ)

(1962年8月21日~2008年6月17日)

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人

 

第二の事件

 

第一の事件が発生したのち、拡声器を付けたパトカーが街中をパトロールして子供から目を離さない様注意喚起しました。

公式には失踪事件とされていましたが、宮崎事件を追い続けたジャーナリストは「最初から殺人事件として捜査を開始した」と述べています。

2930人の警官を投入して真理ちゃん宅周辺の聞き込みを実施。

写真入りポスターを全国の地下鉄、電車、バス停などに約5万枚もばらまきました。

しかし、結果は振るわず。

 

 

真理ちゃんの失踪から6週間後、次の事件が起こります。

 

1988年10月3日午後

埼玉県飯能市を車で走っている際、窓の外に小さな女の子が見えました。

彼女の名前は吉沢雅美ちゃん(7歳)、小学一年生でした。

やっぱり車に誘い込んだ後、向かったのは第一の事件同様に小峰峠の丘でした。

社外に連れ出した後に彼女の首を絞め、動かなくなった彼女から

素早く服をはぎ取り、野外でセックスに興じます。

 

その時、雅美ちゃんの足が無意識かピクピクと動き出したのに気が付いて、宮崎はおびえながら車に戻り走り去りました。

 

1人目の真理ちゃんの遺骨から100メートルと離れていない場所だったそうです。

 

 

その夜、雅美ちゃんの失踪を受けて地元警察が動き出しました。

2300人越えの捜査も虚しく、行方が分かることはありませんでしたが。

 

雅美ちゃんと真理ちゃんの家はたった13キロしか離れておらず、警察も前回の事件との関与を疑っていましたが、遺体も手掛かりもまったく出ない中ではどうしようもありません。

 

第二の事件から2か月、この時の宮崎はというと警察の捜査の手が及ばないことをいいことに

 

次の性欲解放タイミングを狙っていました。

 

 

第三の事件

1988年12月9日

難波エリカちゃん(4歳)が次のターゲット。

友人宅からの帰り道に宮崎に呼び込まれ、例のセダンに乗り込みました。

今回の犯行はちょっと異なります。

 

名栗市の山にある青少年自然の家の駐車場に到着したころには、エリカちゃんは既に泣いていました。

宮崎は、後部座席に座る少女に対し

「服を脱げ」と命じました。

 

時間は夜、暗闇の中でストロボを焚きながら撮影会の始まりです。

とうとう対象が生きてる間に性欲を満たし始めましたよ。

 

午後7時にはエリカちゃんは冷たくなっていました。

宮崎は彼女の身体を丁寧にシーツに包みトランクへ運びました。

脱がせた服は駐車場裏手の林に処分し、車は走り出します。

 

しかし、宮崎の心中は興奮で穏やかではなかったんでしょう。

山を下りる途中のコーナーを曲がる際に、車の前輪が溝に落ちたことで動けなくなりました。

 

宮崎焦りまくり

 

ハザードランプを付け、急いでシーツに包まれた身体を抱えると

暗い森の中へと消えていきました。

 

空になったシーツを持って車に戻ると

 

男が二人、車の近くに立っていました。

 

トランクにシーツをしまい込みながら男たちに事情を説明。車を持ち上げるのを手伝ってもらいました。

しかし宮崎は感謝の言葉もなく走り去っています。

よっぽど早く離れたかったんですね。

 

 

翌日には警察は3件の事件に関連性があるとし、特別捜査本部を設置。

青少年自然の家の作業員がエリカちゃんの服の一部を発見、その翌日には

 

 

手足がナイロンひもで縛られた

エリカちゃんの全裸遺体を発見しました。

 

発見現場はエリカちゃんの自宅から約50キロ。車で一時間45分はかかります。

しかも「付近に怪しい車が止まっていた」と二人の男性が名乗りをあげ、車のナンバーが八王子ナンバーだったことを記憶していました。

ちなみにこの二人の男性が「車はトヨタカローラⅡだった」と誤った証言をしたことで操作が最高潮に混乱するんですが、まぁ今回は割愛ってことで。

 

 

犯行声明と犯行告白

 

被害者は全員埼玉県出身

30キロ圏内に住んでいた。

とうとう警察は今回の事件を「連続殺人事件」として扱い始めました。

そんな第三の事件から1週間が経過しました。

 

なんと、エリカちゃんの家に一枚の手紙が届きます。

 

手紙には新聞の文字を切り貼りして

「エリカ、風邪、咳、のど、安静に、死」

とまるでコンタックのCMのようなことが書かれていました。

 

 

また、翌年1989年2月6日には、真理ちゃんの家の玄関先に段ボール箱が置かれているのを父親が発見し警察へ通報します。

箱の中には

灰や土

焦げた骨の破片

乳歯10本

子供の短パンや下着、サンダルの写真

ほかにもコピー用紙が一枚入っており、やはり新聞の文字を切り抜いて

「真理さん、骨、火葬、調査して、証明して」

と書かれていました。

すぐさま警察は見つかった歯を東京歯科大学の法務課へ引き渡します。

しかし結果は「真理ちゃんの物ではない可能性が高い」とされました。

 

この調査はすぐ後に誤りであることがわかるんですが

メディアはすぐに「歯は真理のものではない」という報道を行います。

 

コレにビビるのはもちろん宮崎です。

 

犯行を行った本人がわざわざ現場に戻って拾ってきたうえに、火葬して写真までとって直接お宅にお届けしているにもかかわらず違うって言われた。

 

ななななんだってえええぇぇぇ!!!

 

スグに次の手紙を書くことにしました。

2月11日、真理ちゃんの家に3ページにわたる手紙が届きます。

この手紙は同時に朝日新聞社会部にも真理ちゃんの写真と共に送られていました。

 

手紙には

「真理の家の前に遺骨の入った段ボールを置いた」

「真理の事件の最初から最後まで私がやった。遺骨は真理の物でないという警察の記者会見を見た。真理のお母さんは、真理が生きてるかもしれないという新たな希望を与えてくれたと語っていた」

「真理のお母さんの希望を無駄にしないためにも、この告白を書かなければならないと思った」

「この遺体は、真理さんの物です」

と母親の想いにトドメを刺すようなことが書かれていました。

手紙の名義は「今田勇子」

利き手とは反対の手で書かれているようで、筆跡鑑定を行っても筆者の性別はわかりませんでした。

警察は、段ボールの中身が確かに真理さんのものであるという事実を発表するまで3週間待ちました。

再度の調査で、4~5歳の少女の骨格が足の遺骨と手の遺骨を除いてゴロっと入っており、歯のうち二本は彼女のレントゲン写真と一致していました。

 

 

1989年3月11日

真理ちゃんが行方不明になってから7か月後に、確かに真理ちゃんは亡くなったと認定されました。

葬儀の際、父親の茂雄さんは「天国に行ったら歩けないし、食べられない。残りの遺骨を返してください」と話しています。

 

しかし、犯人は未だ捕まっていません。

悪夢はまだ終わっていませんでした。

 

つづく。


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