エドモンド・ケンパー②:連続殺人鬼たちは目配せもせずに奇妙なダンスを踊る

エドモンド・ケンパー②:連続殺人鬼たちは目配せもせずに奇妙なダンスを踊る
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どーも皆さんこんばんわ。

ゲーム探偵でおなじみ、ガンダルフと申します。

 

いや~嬉しいな~。

とある人が回すマダミス会へのご招待を頂きました。

ありがたい。こういうのが非常にありがたい。

 

 

なんとなく皆さんも思ってやしませんか?

ネットの人と絡むのは、常に危険を伴う

って。

 

お前が言うなって?

じゃかあしいわボケ!

こちとら血液検査の注射ですら目ぇ背けるくらいに血が嫌いじゃ!

 

おっと、お里がバレますね。

私自身あんまりアクティブな方ではなく、家で過ごし続けられるなら一歩も外には出たくないほどのデブ症。

すれ違う人を睨みつけ、常に威嚇を欠かさないチワワのような心持ちで生活している次第でございます。

 

そんなこちらの心情を察してか、優しい方からなんとオンラインセッションという形でゲームにご招待いただけたことがひじょ~~~にありがたい

この場で感謝の言葉を述べさせていただきます。

 

新たなる一歩を踏み出す勇気をくださって、本当にありがとうございます。

頑張ってブログ書くから、よかったら見てね!

(*’▽’)

 

 

エドマンド・エミール・ケンパー三世(Edmund Emil Kemper III)

(1948年12月18日~ )

カリフォルニア州で8人の女性を殺害した連続殺人鬼

通称:コエド・キラー

 

経過観察

1960年代のカリフォルニア州では

「子供がそんなこそするなんて信じらんない!」

 

という平和主義者の現実を見ようとしない意見がガッツリまかり通っていました。

しかし精神科に送られたケンパーは検査の結果

「偏執的な統合失調症であり、そして天才と言えるであろう高いIQの持ち主である」

とされました。

精神鑑定で疾患が認められたため、犯罪者専用の精神病院に入院。

その後は模範的な態度から更生したと認められたため、当時サンタクルーズで大学職員をしていた1969年、母親が身元引受人になる代わりに仮釈放されました。

 

サンフランシスコの南、太平洋岸に位置するサンタクルーズのビーチダウン。

観光のメッカであるこの町は、日常を営むには少々高級感のある所です。

1970年代初頭、カリフォルニア大学が新しいキャンパスを開設したこともあってか、街にはすでに「ヒッピー」と呼ばれる若者たちが多く移り住んでくるようになりました。

 

もちろん全員が街に歓迎されたかといえばそんなわけもなく……。

 

 

ケンパーが母親であるクラネルの元に身を寄せるようにサンタクルーズへやってきましたが、当時のクラネルは三人目の夫と別れた直後。

新大学での事務アシスタントとして仕事を得て、オード・ドライブにある二世帯住宅に引っ越したばかりでした。

ケンパーも仮釈放の条件の一つとして、サンタクルーズのコミュニティカレッジに通いつつ、自ら望んで警察官を目指すことに。

 

しかしケンパーの高すぎる身長は、警察官としての身長制限を突破していたため夢が叶わないことが発覚。

 

この頃から、近所の人に2人の口論が頻繁に聞こえるようになりました。

 

ケンパーの就職

いくつかの異なる職に手を付け、最終的にケンパーはカリフォルニア州道路局に勤めることになりました。

クラネルの家を出るために貯金を欠かさず、のちに友人とサンフランシスコ郊外のアラメダにてルームシェアをするようになります。

しかし所々でお金が足りなくなり、ちょいちょいクラネルのところに戻ってしまうことも。

オートバイを購入しましたが2度の事故に遭い、そのうちの一つで和解金として15000ドルを得た際は、黄色のフォード・ギャラクシーを購入。

街を車でドライブするのが、彼の趣味になりました。

そんなとき、彼は気付きます。

「思った以上に若い女性がヒッチハイクをしている」

 

そこからの行動は早いモノでした。

ビニール袋にナイフ、毛布、手錠などをトランクに詰め込み、只々機会を持ちました。

しばらくはナンパしては逃がし、ナンパしては逃がしを繰り返す。

彼の証言では、当時150人ほどのヒッチハイカーを拾っていたそうです。

そうしてついに1972年5月7日、2人を見つけました。

2人の犠牲者

Anita Luchessa
Mary Anne Pesce

 

メアリー・アン・ペッシェとアニータ・ルチェッサはスタンフォード大学で友人に会うためにフレズノ州立大学からヒッチハイクでやってきた18歳の女の子。

 

当時はヒッピー文化の真っただ中。

家出問題も爆発的に増加しており、この2人の行方が分からなくなった際も、手掛かりが残されていなかったため警察にできることはほとんどありませんでした。

そして8月15日に山の中から女性の頭部の遺体が発見され、それがペッシェの遺体であることが確認されました。

他の遺骨は発見されなかったにもかかわらず、2人は事故に遭遇して死亡したとされているところが今ではお笑い種でしょうね。

ケンパー自身の証言では、道端に車を止めていたところで彼女たちを拾ったそうです。

ルームシェアをしていた同居人が出かけていることが分かっていたため

車中で2人を殺害し遺体をレイプ

 

自分の部屋へ遺体を運び込み、そこで写真を撮りながら遺体をバラバラにしました。

頭部はしばらく保管していましたが、最終的には山間の渓谷に捨てました。

 

Aiko Koo

 

同年9月14日には、アイク・コーという15歳の少女がバークレーから移動中に姿を消しました。

この頃同じ地域で行われていた無秩序型の殺人鬼の一連の事件が衆目を集め始めましたが、警戒が強化されていただろうはずなのに、1973年1月8日シンディ・シャルがコミュニティ・カレッジの授業に参加するための移動中に失踪。

 

 

Cindy Schall

 

 

2人とも途中友人の家に立ち寄っており、そこにはヒッチハイクでやってきたことが分かります。

せっかくの目撃証言でしたが、残念ながら2日後には近くの崖下から

パーツ毎に別けられた遺体が見つかりました。

 

この時期のサンタクルーズは、”死の街”と呼んでも遜色がないです。

1月25日には地元の家族2組が自宅内で射殺されていました。

そのすぐ後にはキャンプをしていた4人の若者が、全員至近距離で頭部を撃たれていました。

さらに2月5日にはヒッチハイクに出かけていたロザリンド・ソープとアリス・リューが行方不明になります。

 

Rosalind Thorpe(23)

 

Alice Liu(21)

 

2月13日には目撃証言が入り、すぐにハーバート・マリンという男が逮捕されました。

コイツはほとんどの銃撃事件に関与していたことから、この地域で行われていた連続殺人鬼本人であることが分かります。

しかしどれほど調査を進めても、この男からシンディ・シャルやメアリー・アン・ペッシェの事件に行きつかないのです。

誘拐や四肢切断に関しては、彼の手口と一切符合するところがありません。

街中に根も葉もない噂がマスコミによって広げられました。

殺人鬼はまだいる。

と。

つづく

 


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