エドモンド・ケンパー⑤:憎しみと理性の狭間を見つめ続けるサイコパス

エドモンド・ケンパー⑤:憎しみと理性の狭間を見つめ続けるサイコパス
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どーも皆さんこんばんわ!ガンダルフと申します。

 

宅配便が寝ている間に来ていたようです。

不在伝票もなく

通知すら未だ”配達中”のままで

 

一切の痕跡を残さず帰っていきました。

なんなの?スニーキングミッション中なの?

バレたら拷問にでもかけられると思ってるの?

ならせめて荷物だけでも置いていってよ〇マト運輸さん。

俺の満面の笑みと「ありがとう」の一言を受け取って帰ってよヤマ〇運輸さん。

 

俺特製、SAN値がゴリゴリ削れる魔導書作成に必須なプリンターを購入したんですが、魔導書の完成はまだまだ先のようです。

まぁ目的意識を持って活動したにもかかわらず、結果が伴ってこないことなんて生きてりゃザラにあります。
ケンパーの場合は、最終目標である母の復讐を成し遂げたにもかかわらず、その先が見えず自首に至る。そんなことだってあるんですから。

 

どっちの場合も一長一短ですね。

 

エドマンド・エミール・ケンパー三世(Edmund Emil Kemper III)

(1948年12月18日~ )

カリフォルニア州で8人の女性を殺害した連続殺人鬼

通称:コエド・キラー

 

起訴

ケンパーは、1973年5月7日に8つの罪により第一級殺人罪で起訴されました。

ケンパーの弁護では、心神喪失の申し立てによって、何とか戦略を練る時間を稼ごうとしたようです。

特に、ケンパーは詳細な告白が弁護士を介さずに行われてしまったことで、”心神喪失”という手しか残されていなかったからです。

 

”戦略を練る”と言っても、簡単なことではありません。

自身の犯行は、入念な計画と準備によるものだと、ハッキリ公言してしまっていたんですから。

しかしケンパーは、かつて精神病と診断されていたことがあり、精神科医の記録によると、彼は治療を終えて既に安全であると残されていました。

 

 

誰がど~みても治っていませんが。

 

ここに、弁護士であるジム・ジャクソンは勝機があると見出しました。

 

しかし当然、ケンパーも精神科医たちが何を望んでいるかを知っていたんです。

自分の心の内を隠しきり、本当の姿を明かすことのないまま、祖父母を殺害しても8年間は自由の身だったケンパー。

「私の欲求不満。社会的にも性的にもコミュニケーションが取れない」

「私は インポテンツじゃなかった」

「男女関係で失敗するのが死ぬほど怖かった」

 

母の殺害

6人の若い女性を殺害したこの200cmを優に超える巨人は、最終目標であった母親に怒りを向けました。

ほとんどの論評が、これまでの殺人は母親を手にかけるためのリハーサルだったと答えています。

そしてまた、「母親を殺した後にはもはや殺人への興味を失った。」と述べるケンパーの声を、信じるに足るものだと答えました。

 

「自分が殺した女性から奪った品々が、母親に見つかってしまうことを恐れていた。母から逃げるべきか、殺すべきか。それも悩んだ。」

「彼女から逃れられない…。彼女は僕のボタンを全部知っていて、僕を操り人形のように躍らせる。」

ケンパーはそう言います。

母親に対するインタビューを行った際、ケンパーは泣き出して手を口に当て嗚咽を漏らしいていたといいます。

 

彼は、母が寝入るのを待ってから、カナヅチを手に母の部屋に入ったと語りました。

「とてもつらかった。思い出すのが苦痛だった」と彼は認めます。

「私は彼女の頭を切り落とし、もちろん彼女に”恥”をかかせた。息子の育て方を間違えたせいで母は死んだ」

「彼女が起きて、話をしてくれればよかった」

と後に話します。

 

彼女の頭部を暖炉の上に置き、これまでため込んでいた罵詈雑言を言い放ちました。ダーツも思いっきり投げつけました。

それが、”初めてケンパーに反論しない母の姿”だったそうです。

 

母の友人の殺害

とある情報筋によると、ケンパーは被害者が二人いれば、自分への注意をそらすことが出来ると考えて、母親の友人であるサリー・ハレットを家に招いたそうです。

彼女を殴って絞め殺した後、ベッドに裸で寝かせました。

彼は一晩中を二つの遺体と共に過ごし、血まみれでハレットの遺体とセックスに及んだという証言もあります。

ハレットの首をはねた後は、イースターの朝にサリーの車で逃走旅行に出ました。

遺体発見のニュースを聞きたくてラジオを付けていましたが、プエブロまでの15,000kmにわたる道のりで、それを聞くことはなく。

失望を覚えたケンパーは、そこでそっと車を降りて電話ボックスに立ち寄りました。

 

裁判

 

裁判の開廷前に、ケンパーは二度も手首を切っての自殺を図りました。

そして二回とも失敗しています。

 

彼を正気であると判断したジョエル・フォート博士は、ケンパーの少年時代の記録を参照し、彼は精神病であったと診断。ケンパーに対し自白剤を使用した長時間の面接を行い、「彼はおそらく共食い行為を行っていた」と法廷に話します。

女の子をバラバラにした後に、その肉の一部を調理して食べていたとされるケンパー。にもかかわらず、それぞれの事件で自分が犯した罪を理解し、その行いが間違っていることを分かっていながら、大量殺人犯であるという悪評に興奮していたこと。

この全てが、彼は正気であると判断するのに十分な理由であると陳述します。

 

ケンパー自身も法廷に立ち、自身についてを可能な限り述べ、3週間足らずで裁判は終了しました。

彼の告白のうち、どれほどの数が真実だったかは誰にもわかりません。

フォート博士の分析で、共食いを認めたとありましたが、それは心身喪失の弁護のためのものだったと、後にケンパーは撤回しました。

 

11月8日、6人の女性陪審員が5時間審議して、ケンパーが正気であることを確認したのち、第一級殺人の8つの訴因で有罪と判断。

ケンパーは死刑を希望していましたが、最高裁が死刑を一時停止しており、全ての死刑判決が無期懲役に減刑されたうえで有罪判決。

最初はサンフランシスコ北部、ヴァカヴィルのカリフォルニア医療施設州立刑務所に収監され、後にフォルサムの最高警備刑務所に移送。

 

ある時、彼は脳にプローブを挿入して脳組織を死滅させ、脅迫的な性的攻撃性を治療する外科手術を要求します。

もちろんそれは通らず。

盲人のためにテープで本を読むのを手伝い、刑務所の中では協力的で親切、模範囚として過ごしました。

しかし、仮釈放委員会の前に立った際、自分は社会に戻っていくのに適していないと委員会に述べました。

彼は未だ、刑に服し続けています。