ジョン・ヘイグ②:厳格な少年は己の可能性に魅せられて
- 2020.12.15
- サイコパス名鑑

ど~も皆さんこんばんわ!ガンダルフと申します。
めっきり寒くなっちゃってまぁ。キーボードを打つ指先の感覚が帰ってきません。
どこに落としたのかわかりませんが、風呂に入れば一発で戻ってくるでしょう。
本日も、出社前に一筆書くと致しますかね。
٩( ”ω” )و
ジョン・ジョージ・ヘイグ(John George Haigh)
通称:アシッド・マン
ディーコン夫人の処理

ヘイグは、ディーコン夫人がつけ爪に使用する紙を調べていた時に、彼女を後頭部から撃ち殺したと主張しています。
その後、彼は車へ向かい、ペンナイフとグラスを用意して、被害者から血液を抜き出して飲み干しました。これが吸血鬼と呼ばれる所以です。
遺体は45ガロンのドラム缶に酸を入れ、放置。
この犯行により、約111ポンド10シリング(100万円程度)を手に入れた彼は、さらに5人の被害者を生み出した後、酸で溶かして処分することになります。
また、殺害直後は必ずグラス一杯の血液を飲み干しました。
ヘイグにとって、それは必要な行為であり、それが彼らを殺害した理由でもあったそうです。
彼は「血のイメージを伴う夢をよく見ていた」と説明しました。
1944年にヘイグの乗る車がタンクローリーとの接触事故で横転したことがあり、その後彼は血を滴らせた十字架の夢を繰り返し見るようになったといいます。
ディーコン夫人の殺害容疑で拘留されたヘイグは、ルーズ刑務所に収監されることに。
そこからさらに3人の殺害を認めました。
ハマースミスに住む女性、ケンジントンの若者、イーストボーンの少女。
これらは全て「血を飲むことが目的だった」と語りました。
これで挙がった犠牲者は9人。もちろんヘイグに自責や恐怖の念など感じ取れません。この彼の精神状態が、裁判所やマスコミを大きく騒がせることになります。
人は、性的倒錯者ならばまだ理解できるんです。
しかし、性的な目的とは無関係に、しかも「血を飲むため」の殺人など、他に類を見ない事件であり、世間を巻き込む大論争となりました。
幼少期
1909年7月24日、イギリス、ヨークシャー出身のジョン・ジョージ・ヘイグは、母親のエミリーが彼の生まれる三か月前にうつ病を経験したと主張する以外、精神疾患とは無縁の家庭で生まれました。
母が40歳の時に生まれた最初の子供であり、一人っ子。
父であるジョン・ロバート・ヘイグと11年にわたる結婚生活を経ましたが、突然電気工事の現場監督という仕事を解雇され、一家は財政難に陥ります。
父は、借金は恥ずべきことだと思っていましたが、お世話になるしかなくなったのです。
数か月後、再び職を見つけた父に連れられてアウトウッドに引っ越し、その後24年間をそこで過ごしました。
「まるで修道士のような粛々とした生活だった」と述べています。
彼の両親は、”プリマス兄弟会”という宗派に属していましたが、この宗教はどちらかと言うと純粋主義で反宗教的でした。
ヘイグは聖書の話を聞かされ、スポーツやあらゆる娯楽に参加することを禁じられていました。彼が潔癖症になった理由も宗教的な理由ってやつですね。
父の額には、青みがかった印がつけられていましたが、それをヘイグに「自分が罪を犯したから印をつけられた」と教え、お前は罪を犯すなよと警告しました。母の額には印はなく、それを「母さんは天使だから」と父が語ったことにより、ヘイグは自分が罪人と天使の子であることに着目するようになります。
いつか自分も罪人であることを示すような事件を起こすのかもしれない。
常に不安を覚えていました。
ヘイグは、街行く人や関わる人にこの”印”がないかを観察するようになり、またその印が自分の顔に現れていないかを考えて、夜も眠れないことがあったようです。
しかし、人は道を踏み外したからと言って、必ずしも罰せられるものではない。という事実に彼が気が付くまでそう時間はかかりません。
小さなイタズラやウソをついても、彼の肌には何の変化も怒らなかったからです。
彼は、ようやく騙されていたことに気づきました。
少年時代は人や動物に強い感受性を示し、家の許可が出ない友人の代わりに犬と数匹のウサギを飼ってあげるという優しさを見せます。
近所の犬に自分の食べ物をあげることもあったし、他人が苦しんでいる姿が耐えられないという趣旨の発言をよくしていました。
めったに行儀の悪い行いはしませんでしたが、そういった時は母にヘアブラシの毛で手の甲を叩かれたと言います。
後に、その際に出た血をよく舐めていたことで、血を求めるようになったとも。
学校ではあまり他の子供と接せず、すぐに家に帰る系の子供でしたが、両親を心配させないために、2人が聞きたそうな作り話をするようになったそうです。確かに大人になったヘイグ自身も、口がうまいと評されていました。
最も好きなものは音楽。
ピアノとオルガンを習っていたうえ、3マイルも離れたウェイクフィールドの大聖堂に通い、聖歌隊にも入りました。
これにより、今までの名前も知られていない小さな宗教から、権威に依存した大規模宗教と関わるようにもなったそうです。
10歳から16歳までの間、基本的にずっと「自分は罪深い存在だ」と教えられていました。
その苦しみからいつかは逃れられる気がしていたと語り、それを聞いた精神科医が、社会病的な症状を患うことになった原因であるとのちに語ります。
また、大聖堂の肖像画である血を流したキリストの像に対し、目を瞑っていたこと明かしました。
精神科医から言わせれば、それは「求めてしまいそうで目をそらしていた」となるそうです。
大人になったヘイグは、学校卒業後は車のエンジニアとして見習い仕事に就きました。しかし、汚れ仕事だったため、一年で退職。その後は教育共同体の事務員になりましたが、それも嫌で辞めてしまいます。
広告や保険の販売員になったときは一時的に成功し、真っ赤なアルファロメオに乗っていたそうです。
しかし、21歳の時に詐欺罪で初めての逮捕をされることに。
どうやら小口の現金箱が盗難に遭い、ヘイグは疑われていたようです。
将来性が見込めた仕事も、これで失うことになりました。
1934年、ヘイグはベアトリス・ハマーという女性と結婚しました。21歳で、自立していて活発な女性です。彼女の礼儀作法と魅力に感動し、彼女にプロポーズをしたところOKを貰いました。
まぁベアトリスは、結婚の準備期間に他者に「もう!他の人だったらよかったのに!」と思い直していたようでしたが。
それでも7月6日には籍を入れ、両親は反対でしたが同居を認めます。
しかし4か月で離婚。
10月にヘイグは別件で逮捕されて刑務所送りに。
その間に娘が産まれましたが、養子縁組に出されたようです。
しかしヘイグはめげません。刑務所暮らしは一時的な挫折だと捉えていました。
リースした車を販売していた人の新聞記事を読み、「これなら簡単に儲けられる!」と考えます。
それを実行に移した人は刑務所に入っているという事実には気が付いていません。
出所後にとある会社の雇われ検査官になった際、システムの脆弱性を知り、それを利用しました。
「オフィスで長時間働くより、簡単に生計を立てる方法があることに気が付いた」
「しかし、それが正しいのか間違っているのかを自問自答しなかった」
と、後のヘイグは書き残しています。
ヘイグは資本金が必要だと思い、「ガレージ買います」という広告を出しました。
経営難に陥ているオーナーが経営するガレージを選び、以前保険販売員の時に学んだオプション取引で購入します。
こうすると、ヘイグが購入した車の手数料は全て分割払いになるんです。
そして、そのガレージの名前を使って、車を購入するためのハイヤーシートを手に入れました。
大事なのはここからです。
このガレージの近くに住む誰かの筆跡を偽造し、それを使って実在しない車を架空購入。
オプションを扱う保険会社はお金を融資し、ヘイグはそれを現金化しておくことに成功。
狙い通りに稼いだヘイグはさぞ喜んだことでしょう。
数か月後には逮捕されるとも知らずに。
つづく
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