ジョン・ヘイグ④:成功した男は、犯罪のPDCAを回し続ける

ジョン・ヘイグ④:成功した男は、犯罪のPDCAを回し続ける
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ど~も皆さんこんばんわ!ガンダルフと申します。

 

さぁ今日も続きといきますか。

ジョン・ジョージ・ヘイグ(John George Haigh)

通称:アシッド・マン

 

 

マクスワン殺害後

マクスワンを殺害したヘイグ、サイコパス名鑑をお読みいただいてるなら彼の次の行動は手に取るように分かりますね。

マクスワン家 (Photo by Popperfoto/Getty Images)

 

そう、マクスワンの両親から金を巻き上げます。

 

両親と会い、息子さんは徴兵を避けるために出て行ったと告げます。

マクスワンは常日頃から、「軍隊に入らず潜伏するつもりだ」と息巻いており、彼が出て行ったという情報にはある程度の信ぴょう性がありました。

2か月間の準備期間で、前回の失敗に対策を立てます。

仕事中は呼吸が出来なくなるため、対策としてガスマスクを。

商売道具である顔を守るため、ブリキで保護マスクを制作。

大量の酸を容器から浴槽に移すために、足踏みポンプを。

その他雑多なものまで買い込み、次の計画に備えていました。

 

 

準備を終えてからの行動は、警察の供述によるとハマースミスに住んでいる身元不明の中年女性を殺害し、その後マクスワン夫妻を殺害しました。

ヘイグはパイプで2人を殴打し血を飲み、酸の風呂で彼らをドロヘドロへ変貌させます。

7月2日以降に、マクスワンの両親は姿を消しました。ヘイグは彼らの住んでいた家の大家に、「彼らはアメリカに行ってしまった」と話し、マクスワン夫妻の年金を含めすべての郵便物をヘイグの元に転送してもらいます。

自分が親しいという理由をでっちあげるため、彼らの家からあらゆる資料を持ち出して読み込み、どんな質問にでも対応できるようにしていたことで、計画は成功。

怠惰を求めて勤勉に至ったヘイグ、完璧な知識をもとに、親友であったマクスワンになりすまして、委任状に書かれた署名を偽造。そしてマクスワン母の所有していた不動産の登記簿を偽造して、自分の偽名に買えました。

 

 

不動産の売却額は1720ポンド。

彼らが保有していた有価証券や家具なども売却して6000ポンド以上。

当時のレートで800万円ほども大儲け。

彼らの失踪は、警察に報告されることはなく、1949年にヘイグが自供するまで誰にも知られることはありませんでした。

 

そうしてお金を手に入れた彼は、くだんのオンスロー・コート・ホテルの404号室に引っ越していたんです。

特許所有者、発明家、エンジニア会社の連絡係を装い、ヘイグの会社”ユニオン・エンジニアリング”(でっちあげ)は、4つの街に支店があると吹聴して回ります。

仕事が欲しいというよりは、「金持ちには金持ちのネットワークがある」ってことで他の金持ちターゲットを探すためでしょうね。

 

 

ウィリアム・ドナルド・マクスワン

 

マクスワンの死から2年もたたないうちに、すっかりお金を使い果たしたヘイグ。マクスワン家も驚きの速さだったでしょう。

「家、売ります」の新聞広告に載ってあった、アーチボルド・ヘンダーソン(52歳)と、ローズ・ヘンダーソン(41歳)の二人を視野に捉えます。

 

ヘンダーソン夫妻(Photo by Popperfoto/Getty Images)

家を購入したいと連絡を取って夫妻に近づきますが、お金なんてこれっぽっちも持っていないヘイグは、取引を成立させることができませんでした。すでに他のところから借金までしてました。

まぁ正確には、ヘイグは取引するつもりは端からありません。

彼が欲しがったのは彼らの日常に溶け込むこと。

その後もヘンダーソン家に会い続け、音楽に対する共通の関心事を見つけ、友情を育みました。

ヘンダーソン夫妻もホテルに住み、毎晩酒を飲みました。

ローズは以前離婚を経験しており、慰謝料をぶんどって今の生活を楽しんでいます。

 

つまりあからさまな成金野郎ども。

ヘイグもそう思ったようです。

時折夫妻のためにピアノを弾き、時に酒を酌み交わし、親切に振る舞い続け、5か月もの間を彼らの信頼を得るために尽くしました。

まぁ裏の記録を調べてみると、ヘイグの購入履歴に

1947年12月22日:

硫酸のカーボイ×3

40ガロンドラム缶(トップなし)×2

と残されており、本人としてはやる気満々だったようです。

以前の仕事場から引っ越しまで済ませ、1948年2月に夫妻のもとを訪れて数日間共に過ごしました。

ちなみにこの間にも、ヘイグの借金は増え続けています。

 

犠牲者の増加

2月12日、ヘンダーソンの旦那をクローリーの新たな仕事場へ案内し、盗んだ銃で旦那の頭を打ち抜きました。

遺体はそのまま物置に隠し、ヘンダーソン夫人のところに戻ってきて「旦那さんが急に倒れた!」と言って彼女を地獄へと連れ出します。

もちろん彼女も撃ち殺し、二つの遺体を縛り上げて一晩放置しました。

あとはもちろん血を取って酸で煮込むだけ。

 

2月12日のヘイグの日記には、2つの赤い十字架と、その隣にヘンダーソンのイニシャルが書かれています。

旦那の足はまだ無傷のままでしたが、そんな明確な証拠なのにヘイグは気にも留めず庭の片隅に捨ててしまいました。

翌朝、ヘンダーソン一家のホテルのナイトポーターは、彼らの犬を散歩に連れて行くようヘイグから依頼されています。

その後ヘイグは、請求書を支払い、ヘンダーソン家の手紙を見せ、ホテル内の荷物と犬を連れ去りました。荷物はヘンダーソンの車と共に売却したようですが、犬だけはホテルで飼っていたそうです。

売却中の家も代わりに売却してあげ、家財はなんとバーバラやディーコン夫人に売っぱらいました。

ここでまた8,000ポンドを獲得し、彼の生活はまた最盛期を迎えます。

 

ヘンダーソン夫妻の弟は、ヘイグの口八丁手八丁により2人は南アフリカへ行ったと信じ込まされていました。どんな頭をしているんでしょうね。

 

1948年6月、ヘイグの車が盗難に遭いました。

車はラゴンダの崖下から、バラバラになった状態で発見。その後一か月もたたないうちに、落下地点の近くで身元不明の女性が遺体となって発見されています。

日頃から「車に飽きたな~」だとか、「誰か盗んでくれりゃいいのに~」と呟いていたヘイグは、下りてきた車の保険金で新しいエイビスのサルーンを購入したようです。

とはいえ、年末には貯金を0まで戻していたヘイグ。ギャンブルで大金を失っていました。

それどころか、ホテルからも借金をしちゃって、返済期限まで日もありません。

 

お金が無くなったならどうする?そう、仕事をすればいいんです。

 

新聞に同級生の父親の死亡記事が載ってる?なら奥さんにお手紙を書こう。

しかし手紙が届いたころ、奥さんは亡くなっていました。

金持ち未亡人のウワサがある?よし、会ってみよう。

会ってはくれませんでした。

他にも何人もの人をクローリーにある”作業場”に招待しますが、誰も相手にしてくれませんでした。

しかし、そんなときに「つけ爪を作りたい」とディーコン夫人が話を持ち掛けてきます。

もちろん彼女を作業場にご招待。

それでも、借金の返済額に届くことはありませんでしたし、それどころかこの事件から彼は自分の偽りの日常に終止符を打つことになりました。

 

つづく