ジョン・ヘイグ⑤:法廷を敵に回した男はこうして人形になった。

ジョン・ヘイグ⑤:法廷を敵に回した男はこうして人形になった。
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ど~も皆さんこんばんわ!ガンダルフと申します。

 

いや~裏で頑張ってたクトゥルフwikiの問題に敗北しちゃいました。

書き出しながらそのうち何とかするつもりでしたが、どうしても著作権法をカバーできず、あえなく閉鎖です。

法律を犯すのはダメです。悲しむ人がいるってことです。自分の権威性を増すために人を悲しませるのはよくないことです。

レンタルサーバーのお試し期間中だったことが唯一の幸いかな。お金発生してないし。

さて、次はどんな楽しいことをしようかと考えてたら、ブログを思い出したんで続きを書いていきましょう。

 

……(´・ω・`)

ジョン・ジョージ・ヘイグ(John George Haigh)

通称:アシッド・マン

 

 

未来の花嫁との確執

 

ハッキリ言って、ヘイグはピンチの真っただ中。

ディーコン夫人から金を巻き上げても、自身の生活は元に戻らない。超絶困ってる。

どうしようもない絶望に苛まれている矢先でした。ローズ・ヘンダーソンの弟さんから、「彼女の詳しい所在地が知りたい」と再度連絡が入ります。

弟さんは半ば失踪気味に消えてしまった姉を心配し、ロンドン警視庁に行くことを決意したというんです。しかも、自分も一緒に来て欲しいと。

ローズ達のお母さんが病床に伏しており、すぐに連絡したいという彼のために、ヘイグは

「なら、僕んとこ来なよ」

と申し出ました。殺る気満々です。

 

ありがたいことに、この犯行は実現することはありませんでした。ディーコン夫人殺害の容疑で、逮捕されたからです。

 

おそらく、驚きを隠せないヘイグの両親よりも、ヘイグを強く慕うバーバラ・スティーブンスの方が彼の逮捕によっぽど強く影響を受けたでしょう。

彼女は刑務所に訪ねていき、彼の罪が冤罪であることを祈りました。しかし、彼女が目にしたのは、注目を浴びることに喜びを感じ、全ての罪を認めたヘイグの姿でした。

バーバラは、共に過ごした日々の間にもヘイグが親しい友人達を殺害していたという驚愕の事実に気が付いてしまったのです。

「何故私は殺さなかったの?」

そう彼に問いかけました。

ヘイグは、「そのようなことを考えたことは一度もない」と断言しました。彼がマクスワンを殺したのと同じ週に、彼女への愛を認めたこと。彼がマクスワンの両親を殺害したわずか2日後には一緒にデートしていたこと。ヘンダーソン夫妻を殺害している間に、2人の結婚について話し合ったこと。さらには故人のドレスを彼女に売ったこと。そしてディーコン夫人が死んだ翌日にも、共にお茶を楽しんだこと。

それら全てを知ったうえで、ヘイグを理解しようとはとてもできませんでした。

 

バーバラは、婚約相手の事を何一つ知らなかった事実を理解できなかったのでしょうか。服役中のヘイグに手紙を書き、週に一度は面会に訪れています。彼の40歳の誕生日には、お守りを送りました。しかし、その日々を繰り返すうちに、ヘイグが必要だと感じた時に自分も殺されていただろうと、緩やかに自覚するようになったそうです。

 

ヘイグは9人を殺害したと主張しましたが、そのうち3人については証拠が見つかっていません。

彼が3人の犠牲者について話し始めたのは、彼が殺害して利益を獲得したという証拠がなかったことと、血を飲むために殺したという話をより法廷に信じさせることが目的だったからかもしれません。

彼が最初にルイス刑務所に到着した際、受付係へ「これは6人を殺した結果だが、個人的な利益の為ではない」とハッキリ述べています。

しかし、どの現場からも血を飲んだ形跡は見つかっていませんでした。

 

証拠集め

警察がヘイグの倉庫の庭で、隅の方に酸性のヘドロがあることと、何者かが重いものを転がし引きずっていた跡が、ヘドロのある場所に向かって続いてるのを発見します。

地面はゴミで覆われており、ヘドロは土などと混ざり合っていました。またヘドロの中からサクランボ大の珍しいものを熟練の医師が発見します。

 

胆石です。

それにより調べは進み、まだ溶け切っていない脂肪の中から、人骨の欠片がいくつか含まれているのも見つけました。

建物の中では細かい血痕が飛び散っているのも確認され、壁を削って分析したところそれは人間の物であると判明。

鑑識チームは475ポンドの脂と土を集めて持ち帰りました。ちなみに40ガロンのドラム缶の中にも、同じ脂肪分が残っていました。ヘアピンが固まった脂に刺さっていたそうです。

 

3日間、ヘドロを慎重にふるいにかけ、ゴム手袋とワセリンを塗りたくった手で酸から身を守りつつ丹念な調査を行い、発見されたものは

1.28ポンド分の人間の体脂肪

2.3つの胆石

3.左足の一部

4.人骨の欠片18片

5.無傷の入れ歯(上下)

6.赤いビニール傘の持ち手

7.口紅の容器

 

 

中でも入れ歯は重要な発見です。これで歯科医から一致する入れ歯の持ち主を聞き出せば、被害者の特定が可能だからです。

ディーコン夫人が懇意にしていた歯科医ヘレン・メイヨーは、保管していた患者の上顎と下顎の型から、それが夫人の物で間違いないと証言。

残っていた人骨からも変形性関節炎の証拠が見つかり、その他もろもろ(っていうかコートやハンドバッグにも証拠が残りまくり)により、逮捕から一か月も経たないうちに検察側は裁判の準備が万端になりました。

これはもう法廷無双の予感しかしません。

 

死体なき殺人証明

1949年4月1日、ウソつきにはもってこいの日に、サセックス州で裁判の幕が上がりました。その場にいるヘイグも、注目の真っただ中に喜びを隠せない様子。自分の状況が全く理解できていないように見えましたし、審理中もメモを取ったり軽めのジョークをたしなむ余裕を見せています。

弁護人のG.R.F.モリスは、二日間の手続きを経て

何の証拠も提出しませんでした。

これは弁護側から見捨てられたも同然です。

 

検事側は、ヘイグが利益のために殺人を計画的に行ったということを証明するために、33人の承認を召喚しました。そして年表の形式で事件を説明し、ヘイグの動きがいかに合理的であったかを裁判員へ示します。

2月14日(月):
ヘイグは50ポンドのホテルに対する未払い金を抱えていた。ディーコン夫人と昼食をともにし、プラスチック製の爪を見せてビジネスの話をした。

火曜日:
ロンドンから硫酸を購入するために、地元のエンジニアに依頼。そしてジョーンズ氏に人工爪ビジネスが夫人にウケがいいことを話し、彼から50ポンドを借り受ける。

水曜日:
ホテルで50ポンドを支払う。そして10ガロンの硫酸を注文。

木曜日:
硫酸が仕事場に到着。ある会社から40ガロンの黒いドラム缶を購入し、その後腐食性の強い緑のドラム缶と交換。

金曜日:

ディーコン夫人が、後にクローリーの倉庫の外で発見されたハンドバッグを所持していたところを目撃される。その日の午後、ヘイグとディーコン夫人は彼の車でどこかへ走り去った。
それ以降、ディーコン夫人の目撃証言なし。
4:45、ジョーンズ氏に「爪の件で会う予定だった夫人がまだ現れない」と連絡。

 

土曜日:
レーン夫人に、ディーコン夫人が約束の時間に現れなかったことを伝える。同日、宝石店へ行くが鑑定士が不在で買い取りを断られ、別の宝石店で腕時計を売却。レイゲイトのクリーニング屋でペルシャコートを売却

2月20日(日):
警察へレーン夫人を連れて行く。

それからの数日間、ヘイグは銀行口座にお金を追加して当座貸越分を補い、ジョーンズ氏へ借りたお金を支払いに行きました。

精神鑑定も行われ、結果は正常であるとされました。ほとんどの医師が、単に気が狂ってるか、狂気を装っているだけと評価しています。

ヘイグの鑑定結果としては「性本能が自己崇拝に昇華されているため、セックスにも興味を見せず、彼は人を殺すことで自分が何か運命的なものを果たしていると信じていた」となりました。

もちろんヘイグの責任能力は保証され、著名な精神科医からは「妄想体質」「自己中心的パラノイア」、挙句に「野生児」と言われました。もはやただの暴言です。

 

最後の裁判

1949年7月18日の裁判では、推定4000人が傍聴席を求めて小さな町へと押し寄せました。ダフ屋による席の販売も始まりましたが、警察が止めています。ちなみにこれだけの人が押し寄せる原因となった新聞社は、「吸血鬼事件」とセンセーショナルに煽ったことで処罰されています。

 

公判でヘイグは無罪を主張します。検察側が事件を提示し、33人の証人でそれを支え、弁護側は何の異論も唱えない。

 

ゲームセットです。

犯行の計画性も証明され、精神鑑定は正常だけど野生児扱い、おまけに本人が最大の手段だと思っていた遺体消失トリックも暴かれた上に、ちゃんと溶けてなくてバッチリ証拠認定。

 

完封です。

 

裁判員は、評議に入ってわずか15分で全員一致の謀殺罪で有罪判決を下し、ヘイグに死刑判決が下されます。

最後に自分について述べたいことを聞かれた際、首をかしげながら「何もありません」と答えました。

 

ヘイグはロンドンのワンズワース刑務所で最後を迎えます。

内務大臣から、念のため狂人犯罪法に基づき特別医学調査が命じられますが、観察中も狂気的な行動や兆候は見られず、これまでの鑑定を覆すことはありません。

獄中で書かれたバーバラへの手紙には、”輪廻転生”について触れられており、「まだ自分の使命は終わっていないので、いつか戻ってくるだろう」と書かれていました。

そして1949年8月6日、彼は自身の衣服をマダム・タッソーの恐怖の部屋という蝋人形館に遺贈しつつ、絞首刑執行。

ヘイグの蝋人形が作られ、歴史に名を残すこととなりました。

 

できることなら、二度と現れないで欲しいサイコパスですね。