Dr.H・H・ホームズ③:今明かされる殺人館の全貌

Dr.H・H・ホームズ③:今明かされる殺人館の全貌
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ど~も皆さんこんばんわ!ガンダルフと申します。

 

とうとう本日でお休みも終了。

これから仕事に向かう日々がまた始まるかと思うと、嫌気がさしてきますね。

前回お休みに飽きたとか言っていた気がしますが、いざ休みが終了してみるとあの甘美な毎日が堪らなく恋しくなります。

 

どうしてかというと、お休み終盤に差し掛かって、とうとうまたプログラミング学習に手を出してしまいまして……。

ちょうど一年前に「俺はもうプログラミングはやらん!」と豪語していたはずなのですが、コロナによる自宅勤務という”隔離状態”をまざまざと体験させられ、これからの時代に絶対に必要であり、かつ需要も伸び続けるであろう”コード書き”という仕事は、今後世界にとって重要なファクターとなるに違いないと、今更ながら再び思い返しています。

 

さ、息抜きついでにブログでも書きますか。

 

ドクター・H・H・ホームズ

 

ドクター・ヘンリー・ハワード・ホームズ

別名:ハーマン・ウェブスター・マジェット

(1861年5月16日 – 1896年5月7日)

アメリカ史上最初のシリアルキラー

 

コロンブス万国博覧会

1890年代初頭、ビルのあるシカゴはコロンブスのアメリカ航海400周年を記念し、大量の観光客が押し寄せていました。

ホームズのビルはホテル業をメインにしていたようで、観光客がひっきりなしに訪れ、そして帰っていきました。

……入った人数と出た人数に多少の誤差があったかもしれません。

 

ホテル経営者として、ホームズはジョージアナ・ヨークという若い女性に恋をしました。

彼女の興味を引きたくて、まずは自分の両親と兄弟姉妹が死んだことを話し、残された家族は独身の伯父、ヘンリー・マンスフィールド・ハワードだけ。

これは時折ホームズが使用していた偽名「H、ハワード」を正当化するためについた嘘だとされています。

しかしヨークはコレを受け入れ最終的に結婚します。ホームズがミルタという女性と既に結婚していること、ルーシーという子供までいることを知らないまま。

 

1893年の冬に結婚が決まりましたが、とうとうここにきてホームズの殺人癖と窃盗の過去が影響し始めました。まずは債権者が法律の改正に伴ってビルを奪おうとします。

しかし皮肉にもホームズの大胆さや博識さが、全て債権者を欺くことに費やされました。

いつも彼らの先を行くホームズは、ヨークと共に迅速な撤退計画を立てました。

なんと

 

パット・クインランがビルに放火

火事により最上階は焼失。もちろんホームズは、数社に計二万五千ドルの保険を掛けており、保険金を狙ったものだと思われます。

 

しかし火が数か所から出火していることに気付いた調査員は、ホームズを疑って細かい調査を行いました。

結果、保険金詐欺事件であるという彼の報告書が上げられましたが、なぜか真実味を帯びていないということで、ホームズを告発するに至らず。

しかしこれ以上目を付けられるのを嫌ったか、ホームズは保険金の回収は行いませんでした。

 

保険金詐欺

保険金詐欺が失敗する以前から、ホームズの中で練られていた最大の事件はこれでしょう。

彼は、当時まだ手元に置いていたベン・ピッツェルを説得し、フィラデルフィアにあるフィデリティ生命に一万ドルの生命保険をかけて、自分の死を偽装しようとしました。

身体的特徴の近い死体に、顔をひどく傷つけて替え玉にする作戦でしたが、今回の放火事件により保険会社に目を付けられていたためか、計画を自分の死からピッツェルの死に変更することになります。

 

ピッツェルはこれに賛同し、妻に一万ドルが渡るよう頼んだ後、知り合いのつてから雇った弁護士、ジェフサ・ハウを仲間に引き入れて計画は実行されました。

発明家の「B・F・ペリー」という偽名を用いたピッツェルが、実験の失敗により爆死するという筋書きです。

 

ホームズの仕事は、代わりにふさわしい死体を調達すること。

しかし、面倒になったのかなんなのか

 

ベンゼンを使って本当にピッツェルに火を付けました。

その後ピッツェル本人の遺体を用いて保険金を受け取り、ピッツェル夫人に「これは偽装計画だ」と巧みにだまして、5人いた子供の内3人の養育権を搾取しました。

夫人には、長女と生まれたばかりの赤ん坊だけが残されました。

 

ベンジャミン・ピッツェル

 

その後ホームズは、シカゴでは安心することが出来なくなったために、アメリカ北部を経由してカナダに向かうことにします。

子供たちを「お父さんはロンドンにいるよ」となだめつつ、時に数日ホテルに預け、今度はシカゴに戻ってピッツェル夫人をだまし、同様のルートでカナダへの旅路に向かいます。

その間、子供たちと夫人を合わせることはなく、カナダ直前のデトロイトでは、ほぼ数キロの位置に二組を置いていたこともあったそうです。

 

そうこうしているうちに、ホームズはピッツェルの子供であるアリスとネリーを大きなカバンに詰め込んで、外から鍵をかけて殺害。

トランクの蓋に穴を空け、ホースでガスを送り込んで少女二人を窒息しさせ、裸に剥いた遺体をトロントにある賃貸物件の基礎に埋め込みました。

 

 

その頃、フィラデルフィアから付けてきた刑事、フランク・ガイヤ―がホームズの居たトロントに到着。

セント・ヴィンセント・レーン16番地の地下室から発見された二人の子供の腐乱死体に、ホームズとの関連性を見出します。

ネリーの遺体からは足が切り取られており、ネリーが先天性内反足だったという調査報告を受けたフランク刑事は、ホームズが身元判明を防ぐために足を切り落としたと結論付けました。

 

フランク刑事はその後、ホームズが借りたインディアナポリスのコテージにて、暖炉からハワードの物と思われる歯と骨の一部を発見します。

 

アリスとハワード

 

その後も執拗に追い続けたフランク刑事でしたが、1984年11月17日にボストンでホームズを逮捕したのは、おなじくフィラデルフィアからホームズを追いかけてきたピンカートン探偵社の面々でした。

 

判決

 

1895年10月、ピッツェルを殺害した罪により有罪、死刑判決が下されました。

他にも様々な罪によっての死刑判決でしたが、彼は審理中から矛盾する発言を多数繰り返し、当初は無実だとしていた主張も、最終的にサタンに取りつかれたのだと述べています。

獄中で書かれた告白文には、収監からその日までの自身の顔の変貌を書いており、「どんどんとサタンに近づいている」と表現しています。

 

この虚言癖は、後に作られるホームズの物語を多種多様なものに変化させました。中にはピッツェルは本当に逃亡しているとか、もっと結婚しているとか、多くの異なる話があふれかえっています。どれを信じるかは、皆さんにお任せしますが、どれをとってもホームズの真実に迫ることはもはや不可能でしょう。

 

 

1896年5月7日、ホームズは今のフィラデルフィア群刑務所にて絞首刑になりました。

処刑の際は、穏やかで愛想よく、戸惑いなどはほとんど見せなかったそうです。

その一方で、自分の遺体が墓泥棒に盗まれて解剖されないように、セメントで固めて埋めて欲しいとも求めていました。

 

執行中、ホームズは首が折れずに苦しみながらゆっくりと窒息死。

20分後に死亡が確認されるまで、15分以上も痙攣し続けていたそうです。

 

 

ホームズの逮捕後にマスコミから「The Castle」と呼ばれた殺人ホテルは、1895年8月に謎の火事に見舞われ、複数回の爆発音の後に建屋に火が付きました。

なんとか崩落はせず、1938年に取り壊されるまでそのままにされていたそうです。

現在その場所には、アメリカ合衆国郵便公社のエングルウッド支店が建っています。